[1] Ruby Trigger
都会の喧騒を離れた木立の中の別荘地。ここが彼女達の隠れ家だった。
彼女達とは、誰の目から見てもごく普通の仲の良い姉妹の事だ。姉の理緒は幼い頃から冷静沈着で頭が良く、両親から厳しく育てられた。一方、妹の雪乃は自由奔放な甘ったれ、好奇心と行動力だけは人一倍、だが誰よりも信頼する姉、理緒の言う事だけには従順だった。
バスルームから水の音が聞こえて来た。どうやら今日も姉の理緒が、日課の朝湯に漬かっているようだ。浴室の窓は開け放たれ、その向こうの木立の中から鳥のさえずりが、気持ちよく聞こえている。理緒はバスタブに漬かりながら、いつもこんな風景を見ながらのんびりするのが一番の楽しみであり、生きている事の実感を両手離しで喜べる時でもある。
柔らかな湯を手のひらですくい上げ、肩口にかけながらその暖かさを遠くに感じている。理緒は今、恋人である雅治との事を思い出していた。「今度のプロジェクトが成功したら、その時は結婚しよう ! 」雅治はそう言って日本を後にした。雅治のその言葉に理緒は力強く、たくましいものを感じた。喜びたかった。少女のように素直に喜びたかった。しかし、彼はまだ理緒の本当の仕事の事を知らない。もし、彼が理緒の本当の仕事の事を知った時、彼は理緒の事をどう思うだろうか。それを思うと理緒は中々本当の事は言えない。彼を失う事が何よりも怖かったからだ。
理緒の本当の仕事、それは「Ruby Torigger」メールによる当局からの指令一つで、殺しを請け負う闇のポリシア
(秘密警察)なのだ。「Ruby Trigger」いつの頃から、誰がそう呼んだものなのかは知らないが、闇の世界ではそう呼ばれ、恐れられている。美しい容姿に惑わされてはいけない。彼女の細い指先が、拳銃のトリガー
(引き金)を引く度に、どれほど多くの麻薬密売組織の人間を闇に葬って来たかのか計り知れない。
宝石のような美しさ、しかしダイヤモンドには決してなれない、人の血を吸った真っ赤なルビーそれが彼女達に付いた通称なのだ。彼女達と言うのは、もちろん理緒の事だけを指している訳ではない。妹の雪乃も理緒のパートナーとして一緒に同じ仕事をしているのだ。理緒の聡明な思考能力と分析力、雪乃の卓越した運動能力と行動力、この二人の持ち合わせた能力は、他の誰にも追従しえない完璧なものと言える。
昨夜、雅治から理緒の元へ一通のエアメールが届いた。雅治がやっとプロジェクトが軌道に乗り、週末には帰国すると言う。それは取りも直さず、理緒と交わしたプロポーズの約束を果たすためである。雅治に逢いたい。心の底からそう思う。だが... 理緒にとって選択肢は二つ。一つは今の仕事を辞め、平凡な妻として女の幸せをつかむ道。もう一つは... 雅治との結婚をあきらめ、「Ruby Trigger」として自分の決意を貫き通す、茨
(いばら)の道。
どちらにしても自分だけでは決められない。妹・雪乃の事だ。雪乃はまだ若い、今の仕事をこれからも続けさせて良いものなのか? この仕事はゴールの無い、血を吐きながら走り続ける悲しいマラソンのようなものだ。何人、いや、何十人、何百人の闇の組織の人間に拳銃のトリガー
(引き金)を引き続けたとしても、次から次へとまたウジ虫共がわき出して来る。この先、雪乃の人生を犠牲にして果たしてパパやママが喜んでくれるとも思えない。いつの日かこの仕事にも見切りをつける時が必ず来る。そろそろこのあたりが潮時なのかも知れない。理緒は苦渋の選択を迫られていた。
[2] 姉妹
雪乃が起きて来たようだ。「おはよう。あれぇ ? なんだおねえちゃんもうお風呂に入ってるのかぁ。」雪乃はデスクの上にあるパソコンのスイッチを入れた。いつもメールチェックをするのは、雪乃の仕事だ。パソコンが立ち上がるまでの間に、雪乃は引き出しからデジタルビデオカメラを取り出した。パソコンが立ち上がり、メールが自動受信された。雪乃は一通り受信したメールに目を通し、ビデオカメラのスイッチを入れる。
雪乃はいつも日記の代わりに、デジタルビデオカメラに向かい話しかける。「おはようございます。今日の天気は晴れ、体調良好、化粧のノリも良好。理緒姉ちゃんはもうお風呂に入ってます。そろそろ自慢のお肌も、水をはじかなくなっているのでは無いでしょうか。アハハハ ! これより実地検証に向かいたいと思います。」
雪乃はそう言うと、足音を忍ばせてコソ泥のようにバスルームに行き、バスタブに漬かりながらぼんやりと窓の外を眺めてる理緒の姿を確認すると、いたずらな笑いを浮かべ、ビデオカメラを理緒に向けた。「敵が攻めて来たぁ ! 」いきなり大きな声で叫ぶ雪乃。その声に驚いて理緒はザブ ! っと立ち上がった。そして「どこ ! 敵は何人 ? 」反射的に理緒は雪乃の方を振り返る。「・・・」雪乃はビデオカメラを理緒に向けて立っていた。雪乃はケラケラと笑いながら、「え〜、悲しい事に女も30近くになると、ご自慢のお肌もお風呂のお湯をはじかなくなる模様です。これで実地検証を終わります。」
「こらぁ〜っ ! 雪乃 ! 何やってるの、蹴るわよぉ ! 」どぎまぎと狼狽した理緒が雪乃に向かって罵声を浴びせる。雪乃は大笑いしながら理緒に向かって言う。「はぁ〜い、しっかりとビデオに撮りましたぁ。あはははっ ! 」理緒は「またくもう ! しょうがない子ね ! 」と苦笑しつつも、そんな雪乃の事を切ないほどかわいく思った。やはりもう...
[3] キャンセル
バスローブを着て事務所代わりの居間に行くと、雪乃はデスクのイスにドッカ ! と座り、ヘッドホーンを耳に当てて、音楽を聴いているようだった。お行儀悪く両足をデスクの上に乗せ、ドラムでも叩いているような仕草で相変わらずゴキゲンな様子だ。濡れた髪をタオルで拭きながら理緒は雪乃に声をかけたのだが、雪乃はそれにまったく気が付かない。よっぽど大きな音で音楽を聴いているのだろう。もう一度改めて声を掛けようとしたが、どうせ聞こえ無いだろうと思い直し、取りやめ、濡れた髪を拭く事に理緒は専念した。
「おねえちゃん ? 」タオルに付いた髪を几帳面に指でつまんでいる理緒に、雪乃の方から声をかけた。「なぁに ? 」理緒はその気の無い声で返事をした。「ゆうべ手紙来てたね。雅治さんからでしょ ? なんて書いてあった ? 愛しい愛しいボクのハニ〜、君が欲しいものなら何でも買ってあげる。ヴィトンでもプラダでも。だから優しくしておくれ、お願いだ... あははは。」理緒はムッ ! として「そんな事書いてあるわけないでしょ ! あんまり姉をおちょくると、ひどいめにあわせるからね ! 大体あんたはね... 」あわてて雪乃が理緒の言葉をさえぎる。「ストップ ! ご、ごめん。冗談だよぅ、雅治さんの事になるとすぐにムキになるんだからぁ。でもいいよね、おねえちゃんは心の中にいつも雅治さんがいて。あたしなんか心の中はいつもグランドキャニオンさ。荒涼とした大地に空っ風が吹いてるだけ。あはは♪ もう砂ボコリまみれだ。あははは♪」
「雪乃... ごめん、そんなつもりで怒った訳じゃないよ。」理緒は無意識に言った自分の言葉を反省し、自らを責めた。そしてこの時、この仕事からのリタイヤを決断した。大らかで快活な雪乃は気にする事も無く、「雅治さん、帰って来る ? 」理緒は雪乃を見た。こぼれ落ちるような笑顔で雪乃も理緒の事を見つめていた。「うん、週末に帰国するって。」それを聞いた雪乃がガッツポーズをする。「やっほっ♪ じゃぁ雅治さんとまた3人で焼肉パーティーやろうよ、帰国のお祝いにさ。」理緒は雪乃の事をじっと見つめながら「そうね、いいアイディアかもね。」と上の空で返す。
「そう言えばね、メール来てる、仕事の。今度は大きな取引があるみたい。相当気合入れて行かないと。どうする ? 取引場所の下見にでも行って来ようか ? 」いつもの調子で雪乃はデスクの引き出しから拳銃を取り出し、ハァ〜 ! と息を吹きかけ磨き始める。理緒は雪乃の問いかけには応えず、窓のところへ歩み寄り、窓を開けると外を遠く見つめ、雪乃には振り返らずそのまま独り言を言うように言った。
「雪乃... 仕事はキャンセルにしよう。」ピカピカに磨き終わった拳銃を、満足げにながめ透かしていた雪乃がキョトンとして言う。「えっ ? 今なんて ? 聞き間違いかも知れないけど、キャンセルって言った ? 」理緒はまだずっと窓の外を見ている。少ししてからポツリともう一度言う。「キャンセルよ... 今回だけじゃなくて、これからずっとね。」理緒の言葉を聞いた雪乃は突然両手でデスクを力いっぱいドン ! と叩いた。そして声を荒げて「キャンセルだって ? しかもこれからずっと ? どう言う事よ。それってさぁ、仕事からリタイヤするって事 ? あたしは嫌だよ ! おねぇちゃんはあの日の事を、まさか忘れたって言うんじゃないでしょうね。」理緒は黙ったまま何も言わない。
[4] 悪夢
あの日の事... 理緒の頭の中にも雪乃の頭の中にも、鮮烈な記憶がよみがえる。その頃二人ともまだ学校に通っていた。理緒がクラブ活動の体操部で放課後まで練習していると、顧問の先生が理緒に来るようにと言うので、インターハイで勝つためにもっと練習を続けたいと言うと、先生は今すぐ着替えてここに戻って来なさいと言う。どうしてなのか分らないが、これから病院へ行くと言うのだ。どう言う事なのか分らないが着替えて先生の所へ行くと、理緒は私は別にどこも悪くないし、怪我もしていないと訴えると先生はひどく悲しそうな顔をして何も言わず、自分の車に乗るようにと促した。なんだか訳が分らないまま、理緒はそれに従う。
車を走らせながらポツリと先生が理緒に聞く。「確か... 君には妹がいたね。そちらの方には連絡が入っているはずだから、妹さんも今病院に向かっていると思う。」雪乃も病院へ向かっている ? どうして ? 理緒はもう訳を聞かないではいられず、先生を助手席から問い詰める。「先生、一体何が起きたのですか ? なぜ妹の雪乃まで病院にいかなくてはならないの ? 雪乃に何かあったんですか ? 」危機迫る理緒の強い語気に先生は重い口を開いた。
「あのな、気を確かに持って落ちついて聞いてくれ。君のお父様は商社マンだったね、東南アジアへ出張していて今日帰国する予定だった。」理緒は父の事を言われて、急に胸騒ぎがした。「はい、もう今頃は帰っている頃だと... はっ ! まさか、父の乗った飛行機に何かあった ? 」先生は静かに首を横に振った。「飛行機は無事に到着したんだ。だが... 」理緒は黙って聞いている。「だがその後、君のお父様は迎えに行ったお母様の車で帰宅途中、何者かに襲われて大怪我をしたらしい。まだ詳しい事は分らないが、ご両親とも救急車で病院へ運ばれたと、警察から連絡が来たんだ。」
理緒は先生の話を聞いて全身の毛穴が開き、背中に悪寒が走った。パパが... ママが... 大怪我 ? それも何者かに襲われた ? どうして ? なんで襲われるって... どう言う事なのか理緒には理解できない。助手席のシートの上でブルブルと震えながら、黙り込んでいる理緒の事をみた先生が、ゆっくりとした声で理緒に言う。「大丈夫だ。目には見えないが、神様がきっと君のご両親の事は守ってくれるから。」と、先生は言ったが、理緒はそれならどうして神様はパパやママが襲われないように守ってくれなかったんだと神様を恨んだ。
理緒を乗せた車が病院に到着するとすぐ、雪乃を乗せた車も到着した。するとすぐに雪乃は車のドアを乱暴に開け放ち、理緒のところへ走って来て、理緒の腰にしがみついた。雪乃は泣いてはいなかったが、ギュウギュウと理緒の腰をきつく締め付けている。理緒はそんな雪乃の手を引いて、先生や警察の人に案内されるまま、その後をついて行く。先生と警察の人は何か小声で言葉を交わしていたが、先生の顔色が急に蒼白になる。先生は理緒達の事を振り返ると、唇を噛んで足元に視線を落とした。病院へ入って行くと、階段を登るのだと理緒は思っていたのだが、無言のまま先生も警察の人も、階段を降りて行く。理緒はどうして ? なぜ階段を降りて行くの ? 不安と恐怖で押しつぶされそうだ。体がずっと震えている、震えが止まらない。一歩一歩降りて行く階段は、理緒と雪乃にはまるで地獄への入口に向かっているような気がした。
奈落の底へ落っこちたような最悪な気分だ。薄暗い廊下をみんなの靴音が響く。そしてその足音は、重苦しい鉄の扉の前で止まった。警察の人がその扉をゆっくりと開き始める。その時理緒は叫びたかった。「開けないで ! その扉を開かないで... 」地階のこの場所が、一体どう言う場所なのかは誰にでも分る。つまりはそう言う事なのだ。
ベッドが二つ、きっちりと並んでいる。そのすべてに白い大きな布が覆いかぶさっている。枕もとの線香が煙をたなびかせ、吐き気をもよおす。理緒は右手で口元を押さえ、雪乃は相変わらず理緒の腰にしがみついたままだ。その場の誰もが無言のまま、警察の人がそおっと白い布をよけた。理緒の眼に飛び込んで来た映像は魂が抜け、単なる物体と化したパパとママのなきがらであった。パパの顔にも、ママの顔にも大きな黒いアザがあり、まっとうな死に方をしたものでは無い事を物語っている。
突然死んだパパとママの顔をじっと見ていると、決して受け入れたくない現実を、無理やり押し付けられているようで不愉快だったが、本当に固まったままいつまでも、まったく動こうとしないパパとママに、理緒は話しかける。「パパぁ、どうしてずっと動かないの ? ねぇ、ママぁ、顔のアザ、痛そうよ。ねぇ、どうしたの ? 何か言ってよぉ。まるで死んじゃった見たいだよぉ... ねぇ、黙っていないで何か言ってよぉ... パパぁ... ママぁ... 」その時まるで関を切ったように雪乃が大声をあげて泣き出した。「おねえちゃん.. パパもママも死んじゃったぁーっ ! 」暗く狭い霊安室の中に悲痛な姉妹の号泣だけが響き渡る。「先生のウソつきィーっ!
神様なんて... 神様なんていないじゃないかーっ ! 」
[5] 駆け引き
涙ももう枯れ果た頃、警察の人から事件の概要を理緒と雪乃は聞いた。警察の調べでは、商社マンの父がビジネスで東南アジアを飛び回っている時、麻薬シンジケートの密売人が、父のカバンに目を付けたようだ。密売人は父の行動を入念に調べ、スキをうかがって父のカバンに細工を施した。もちろん密輸するためのヘロインをカバンに仕込み、無事に税関を通り抜けられたら、日本へ帰国後カバンを取り戻す。また仮に麻薬所持が発覚した場合でも、密売人は決して捕まらないと言う仕掛けだ。旅行者のカバンをすりかえて、麻薬の運び屋として利用すると言う手口はまだまだ現在でも行われている。
理緒達の父は運良く ? 税関を通ってしまった。そのために麻薬を仕込んであったカバンを、組織の人間が取り戻すため理緒と雪乃の父は、迎えに来た母の車で自宅へ戻る途中、襲われたあげくに拳銃で二人とも射殺されたと言うのだ。闇の組織とは何の関係も無い一般民間人を事件に巻き込み、命まで奪い、やつらはそれで多額の金を手にする。人の命など虫けらほどにも思っちゃいないのだ。これを聞いた理緒と雪乃は口惜しかった。そんなやつらのために、愛していたパパとママが利用された上に、殺されただなんて... そして理緒と雪乃はその時、二人して堅い誓いを立てた。どんな手段を使ってでも、そんな卑劣な麻薬組織をぶっ潰してやるんだと。
「聞いているの !? おねぇちゃんもあの時の誓いを忘れた訳じゃないんでしょ ? 」理緒は黙っている。もちろん忘れた訳ではない。忘れた訳ではないし、これまで自分達がして来た事は、たとへ非合法ではあっても、間違っていたとは思わない。けれども、個人の力にはおのずと限界があるし、こんな仕事をいつまでも続けられるはずも無ければ、パパもママもそれを草葉の影から喜んでいてくれているとも考えがたい。
「あ〜、分った。結婚するんだ、雅治さんと。そのために雅治さん帰国するのね。そうなんだ。おねぇちゃん、おめでとう♪ 雪乃は心より祝福するよ。そうさ、それならもうこんな仕事、辞めた方がいい。悩む事なんて何にも無いじゃん。」理緒は雪乃の口からそんな言葉が出るとは考えもしなかった。「悩みって、雪乃はなぜ ? 」雪乃の顔に笑顔が戻った。「おねぇちゃんが考えてる事くらい、雪乃にも分るよ。姉妹だもん。同じパパとママの血が体の中をグルグル回っているんだ。」意外なほど簡単に雪乃は理緒の結婚について、仕事をリタイヤする事について了承した。しかし雪乃自身は一言も仕事をリタイヤする事には触れていない。それが気になる。
「で、雪乃はどうするの ? これから。」直接理緒は雪乃に聞く。「あたし ? そうねぇ、おねぇちゃんはどう思う ? あたし一人で今の仕事続けられると思う ? 無理だよね、おねぇちゃん抜きでこの仕事するなんてさ。」そう言うと雪乃は理緒の返事を待たずに、買い物に行って来ると行って部屋を出て行った。雪乃が本当にそう思っているのかどうか、信じる事は出来ない。雪乃が言ったように、理緒にも同じパパとママの血が体の中をグルグル回っているのだから。念のため、雪乃が部屋から出て行ったあと、理緒はデスクのパソコンで受信したメールをチェックし、今度の仕事に関するすべてのメールを削除しておいた。
[6] それぞれの思い
雪乃は車のステアリングを握っていた。湾岸の道を窓を開けて、そこから吹き込んで来る潮風を楽しみながらドライヴをしている。カーステレオからはミレーヌ・ファルメールの曲、「SANS CONTREFACON」が流れている。「理緒ねぇちゃんの花嫁姿... きっと綺麗だろうなぁ〜」雪乃は独り言をつぶやき、理緒のウェディングドレス姿をイメージしている。「あはぁ〜♪ 想像するだけで惚れ惚れしちゃうな♪ 幸せになってね。もし ! 雅治さんがおねぇちゃんを泣かせるような事したら、その時は... その時は雅治さんをあたしが撃ち殺す ! バキューン ! 」そう言うと雪乃は右手をステアリングから離し、手を拳銃の形にして撃つマネをした。
雪乃は信号が黄色から赤に変わる直前、タイヤをきしませて左折する。その信号のところに設置された道路看板には、「左折・第5埠頭」と書いてあった。「あっぶねぇ〜 ! 看板を見落とす所だったよ。」雪乃はどこへ行くつもりなのか。そのまま進むと間もなく港に出る事になる。港では大小さまざまなタンカーが停泊しており、雪乃はそれらを見て言う。「でっけ〜なぁ〜 ! まるでクジラの群れが泳いでいるみたいだ。」船積み待ちのすすけたコンテナが山積みになっている場所で、雪乃は車のブレーキを踏みつけ停車すると、助手席側のグローヴボックスから、拳銃を取りだした。コルト・ガヴァメント45口径オートマチック。通常なら女の腕でこの拳銃を扱うのは不可能とは言わないが、よほど体を鍛えないと扱えるような代物ではない。アメリカ軍で正式拳銃として70年も使われている物で、その性能と破壊力は実証済みだ。マガジンには7発の弾丸が入る。雪乃はそれをセカンドバッグの中に忍ばせて車を降りた。
雪乃は山積みにされているコンテナの間を、ブツブツと何かを言いながら歩き回っている。「一本目、二本目... ここで行き止まり。ふぅ〜、広いなぁ〜覚え切れないかも。今度は直角方向に、一本目、二本目... コンテナが五つ並んで交差点と。」一体何をしているのだろうか。
その頃理緒は、週末に帰国する雅治を出迎える時に着る服を物色するために、街に買い物に来ていた。あれこれと洋服のお店をまわり、それほど高価な物ではないが、気のきいた真っ赤なワンピースを買った。それに合わせてヒールも買った。洋服を買うのはいつもの事ではあるが、雅治に逢うための洋服選びと言う事になると、何か特別な気持ちになり、いつもに増して楽しい買い物となった。一休みしようとオープンカフェに席を取った。ウェイトレスにカフェオレを注文すると、バッグの中から一枚の写真を取り出す。以前、雅治と並んで撮ったツーショットの写真だ。その写真の中で雅治は笑っていた。理緒はそんな雅治の肩に寄りかかるようにしておすまし顔をしている。理緒はそれを見ながらクスクスと小さく笑う。
雅治に逢うのは2年ぶりになるだろうか。空港まで雅治を車で送り、「理緒ちゃん、そんな事しなくていいってば。重いんだから本当に。」と雅治が理緒の事をなだめているのに、理緒は雅治の止めるのも聞かずに車のトランクから雅治の大きなスーツケースを引っ張り出していた。「大丈夫だもん♪ あたし案外力持ちだし、これからこのスーツケースの中に入っている服や品物で、雅治さんがビジネスと言う戦場へ戦いに行くんだって思うと、なんだか胸が一杯になっちゃて... こんな事でもしないと、あたし泣き出すかも知れないよ。」雅治は理緒の事を見つめた。理緒のそんな気持ちが胸に暖かかった。そして理緒のためにも絶対にビジネスを成功させて、理緒に飛び切り上等のウェディングドレスを着せてやると、改めて決意を固めたのだった。
空港のロビーで理緒は突然雅治にしがみついた。いきなりだったので雅治は一瞬驚いたが、雅治は気を取り直して理緒の背中にそっと腕を回した。雅治の胸に顔を埋めた理緒の髪が自分の顔の所で甘く香る。二人とも何も言わぬまましばしの時が経つと、理緒の方から離れた。「よし♪ これでしばらくの間、大丈夫。」そう言いながら理緒は無理やり笑うと、いってらっしゃいと言いながら、おどけて雅治に敬礼をする。雅治は優しい瞳で理緒を見ると、「行ってきます。きっと成功して帰って来るからね、その時はオメカシして出迎えに来てくれるね。」理緒はうなづき「もちろんよ、精一杯のオメカシして迎えに来るね。」と涙で流れた化粧で、真っ黒になった目を細めて雅治を搭乗ロへ送り出した。「もうあの日から2年も経ったのかぁ、その間に色々あったなぁ... 」と理緒は感慨深く追憶していた。
[7] 組織
「どうだ柳
(リュウ)、そちらに変わった事は無いか ? 」携帯電話を耳にあてて、一人の男が第5埠頭のコンテナの周辺を見回している。「王
(ワン)さん、ヘンな女が一人、さっきからコンテナの周りをウロついていますが、今の所はそのぐらいです。」携帯電話に向かって柳
(リュウ)と呼ばれる男はそう言うと、レイバンの黒いサングラスを引き抜くように外した。「ヘンな女 ? 何者だ ? 」王
(ワン)さんと呼ばれる男が短く言った。「さぁ、分りませんがコンテナの間を何度も行ったり来たり、コンテナの数を数えたり... 」柳
(リュウ)の報告に用心深い王
(ワン)は、ソファーから立ち上がると、背にしていた窓の所へ行き、ブラインドの中へ手を突っ込み、バリッ ! といわせて外を注意深く見回し、何事も無い事を確認してから携帯電話に向かい、静かに柳への指示を出す。
「念のため、その女に探りを入れてみろ。」それだけ言うと携帯の通信ボタンを切った。「はい、分りました。」と言って柳
(リュウ)も通話ボタンを切る。柳はフトコロに忍ばせた拳銃を引き抜き、銃の安全装置を解除し、再びガンホルダーに戻すと、ゆっくりとコンテナのある方向へ向かって歩いて行った。
「よし ! 頭の中に周辺状況はインプット出来た。これで今夜、奴らがどっから出て来ても大丈夫だ。さて、おねぇちゃんに怪しまれないうちに帰ろうっと♪」雪乃はクルリときびすを返すと、停めてある自分の車に戻ろうと歩き出した。コンテナの影から黒いスーツに身を包んだ柳が靴音を響かせて現われる。そして雪乃の背中越しに低い声で「お嬢さん ! 」そう言って雪乃を呼び止めた。誰もいないと思っていたはずなのに、いきなり呼び止められて雪乃はぎくっ ! とし、立ち止まった。そしてゆっくりと後ろを振り返ると、そこには黒服に黒いレイバンのサングラスをかけた見知らぬ男が、雪乃の事を凝視していた。雪乃は「んっ ? なんだコイツ ? あぶないデカの館ひろしのつもりか ? 趣味悪ぅ〜 ! 似ても似使わへんって。あたしをナンパするつもりか ? 」取り合えず雪乃はニコッ♪ と笑ってから言った。「お嬢さんてあたしの事かしら ? 何か御用でも... 」柳は黒いサングラスを透かして雪乃の足の先から頭の先まで注意深く観察してから雪乃に言う。
「ずっとさっきから見ていたが、お嬢さんはそこで一体何をしているんだ ? 」雪乃はぶしつけな柳の質問にムカついたが、さっきから見られてた ? マジ ? その言葉を飲み込んで、お嬢さんらしくしとやかに答えた。「何って、青い海とお空の大きさに感激していましたのよ。それが何か ? 」とぼけた雪乃の返答に、柳は奥歯を噛み締め、眉間にシワを寄せる。しかしおだやかな口調で雪乃に言う。「ほ〜ぅ、それはまた結構な事で... で、今夜やつらが何とかって言っていたのはどう言う事なんだね ? 」はっ ! 雪乃は心臓が思わず口から飛び出してしまいそうな錯覚を覚えた。それも聞かれていたのか...
「何の事かしら ? 」平静を装ってとぼけたが、そんな事で済む訳はなかった。柳はピカピカに磨かれた黒い靴で雪乃に向かって歩き出し、雪乃にとっての安全圏を侵し、近づいて来て雪乃のすぐ目の前で立ち止まると、右手の人差し指で雪乃のあごを押し上げ、「中々気の強いお嬢さんですな。」と不敵な笑いをする。雪乃に緊張が走る。しかしそれをけどられないように雪乃は「おほめにあずかり、光栄ですわ。」と返す。自然とかかえているセカンドバックに手が行く。柳はそれを見過ごさなかった。「君はただ者ではないね ? さぁ、そろそろ正体をあかしてもらおうか。」そう言うと柳は胸のホルダーから拳銃を取り出し、雪乃の額に押し付けた。
[8] 雪乃の危機
柳と雪乃の間に拳銃を挟んでにらみ合いが続く。ここで唐突に雪乃が動けば、柳はなんの躊躇もなく拳銃の引き金を引く事だろう。頭をフル回転させて脱出の糸口を見つけようと雪乃は考えるが、四面楚歌。何とかセカンドバッグに潜ませてある拳銃を取り出す事が出来れば、こいつと対等な立場になれ、脱出の糸口が出来るのだが... 雪乃はため息をついて、ゆっくりと両手をホールドアップした。地面に落ちる雪乃のセカンドバッグ。そして柳に向かって言う。「降参よ、あたしの負けだわ。どうにでもしてちょうだい。」ホントに雪乃は観念したのか ? 柳が雪乃の額に強く押し当てていた銃口から、ほんのわずかに力が抜ける。雪乃は「しめた、もう一息だ。」と胸の中でつぶやく。
「あたしの事、知りたいんでしょ ? ほら、そこのセカンドバッグの中に秘密が入ってるから拾ってくれない ? 心配なら貴方があけてそれを出したらいいわ。」柳は銃口を雪乃に向けたまま、言われたセカンドバッグに目をやった。そして再び雪乃に視線を移し静かに言う。「お嬢さん、そのままじっとしているんだ。ヘタな気を起すとそのカワイイ顔に、風穴開けるぜ。」雪乃は開き直ったのか急に態度を変えて柳に言う。「だっさぁ〜♪ あんたやくざ映画の見すぎとちゃう ? それも二流映画やわぁ。今時風穴あけるなんて言うアナクロなセリフ、言う奴はおらんよ。」とまるで自分の置かれた状況を理解していないような言葉だ。態度の変わった雪乃を見て、柳は気のきいたセリフを言い返してやりたかったが、うぅ... うぅ... とうなるだけで言葉が思い浮かばない。柳は自己嫌悪に陥りながらも、「口の減らない女だ ! まぁいい、そんな減らず口がたたけるのも今のうちだからな。いいか、動くんじゃねぇぞ ! 」
柳は慎重にセカンドバッグと雪乃を交互に見ながら、ゆっくりとセカンドバッグを拾い上げる。それを雪乃は細心の注意を払いながら凝視する。柳は拾い上げたセカンドバッグを開き、中を見て驚く。黒く鈍い艶を放つ拳銃が入っていたのだ。「コルト・ガヴァメント45口径 ? こんな小娘には似つかわしくない銃だ。いや、待てよ ? こんなものを女だてらに使える奴と言えば、ルビー・トリガーくらいしかいない。」銃を見てセカンドバッグから柳は雪乃の拳銃を取り出した。雪乃はそれを待っていたのだ。雪乃は動いた ! 雪乃は白いロングブーツを履いた足を思い切り振り上げ、柳の手元にキック ! 「うぉっ ! 」雪乃の拳銃は宙を飛び、柳は体制を崩してしりもちをつく。クルクルと回転しながら雪乃の拳銃は、地面に落ちた。柳が体制を立て直す前に自分の拳銃を拾い上げなくてはならない。雪乃は拳銃めがけてダイブする。だがそれを手にするよりも一瞬早く柳は体制を建て直し、雪乃の銃を狙って発砲 ! 弾丸は雪乃の拳銃からややそれて地面から跳ね返ったが、雪乃はそのために自分の拳銃を手にする事が出来ない。
地面を転がりながら再度、雪乃は拳銃に近づこうと試みるが、完璧に体制を回復した柳は、何とか拳銃を取ろうと地面を転がリ回る雪乃をあざ笑いながら、もてあそぶようにわざと雪乃の拳銃のまわりに、何発もの銃弾を発砲する。雪乃はそんな柳の銃弾にほんろうされながらも、必死に自分の拳銃を奪取しようとTRY する。柳はいやらしい笑い声をあげながら雪乃に言う。「さぁお嬢さん、もうゲームは終わりだ。」そう言うと、雪乃の右の太ももに最後の残りの一発を打ち込んだ。「あぅっ ! 」うめきとも悲鳴ともつかない雪乃の悲痛な叫び声がし、雪乃の右の太ももから肉片と、真っ赤な鮮血が飛び散り、雪乃は悶絶し、必死でその部分を手で押え込んだが、意識が遠のきその場に倒れて動かなくなった。
柳はカラになった自分の拳銃からマガジンを抜き取り、ポケットに手を突っ込んで、スペアのものと交換する。それから倒れている雪乃を見下ろしてつぶやく。「こんなカワイイ顔して、ルビー・トリガーだなんてオママゴトしてるからこんな目に合うんだ。殺したりはしないさ、もっともお前次第だがな。」柳は黒いスーツの上着を脱ぐと、自分の Y シャツを破り、雪乃の傷口にそれを巻きつけた。そして、グッタリしている雪乃を肩に背負うと、自分の隠れ家に運んで行った。
[9] 隠れ家
入口以外は小さな窓が一箇所しかない昼間なのに薄暗いその場所は、柳の隠れ家のようだ。雪乃を肩に背負い、建付けの悪い入口のドアを足で蹴るようにして開けると、柳は雪乃を自分の狭いベッドの上に降ろした。自分のY シャツで応急処置をした雪乃の足の具合を見ながら、ベッドの枕元に置いてある寝酒用のウォッカの栓を開け、消毒の代わりに降りかけた。まだ出血が納まっていないので、ウォッカと雪乃の血液が混ざり、ベッドが真っ赤に染まった。柳は部屋の片隅に置かれてる自分のボストンバッグから、携帯用の医療用具を取り出し、フタを開けて止血剤と包帯で丁寧に雪乃の傷の手当てをした。その上で雪乃の体をロープで縛り、ベッドから動けないようにし、雪乃をかついで来た時についたのか、鮮血で汚れた携帯電話を取り出し、電話をかけた。呼び出し音が数回鳴った後、王
(ワン)が電話に出た。
「私だ。報告が遅いぞ、どうしていたんだ ? ヘンな女と言うのはどうしたんだ ? 」王
(ワン)は、苛立ちを隠さずにぶっきらぼうに柳に質問して来た。柳はわずかに間を置いてから答える。「報告が遅くなり、申し訳ありませんでした。女は捕らえました。」その柳の答えに王
(ワン)は不審を抱いた。前にも述べたように、王
(ワン)は用心深い男だ。ましてや今夜は麻薬の組織と大きな取引が行われるのだから、神経質になるのも無理は無い。「捕らえた ? どう言う事だ ? 」柳は簡潔に事の次第を報告すると、王
(ワン)が驚いて「なにィ ?」と声を荒げた。「ルビー・トリガーの片割れだと ? と言う事は、サツには今夜の取引がばれていると言う事か... それなら是非も無い、今夜の取引は中止だ ! あぁ、待てよ、取引は中止にするが、そのルビー・トリガーの片割れを利用して、もう一人の片割れをおびき出して二人とも始末しろ。あくまでも今夜取引が行われると装うんだ。ルビー・トリガーさえ始末してしまえば、取引などいつでも出来るからな。いいな ! 」柳は王
(ワン)に言われるまま了解した。
柳は王
(ワン)の指令で、今夜の取引を完全な形で行えるように、朝から取引場所に張り込み、不審な物や人などが現場に近づけないよう、異例の警戒をしていたのだった。そこへノコノコとルビー・トリガー、雪乃が取引現場の下見に現われたと言う事だった。柳はテーブルのタバコの箱から残り少なくなったうちの、一本を引き抜き火をつけた。夜まではまだ時間がある。その時ベッドに転がっていた雪乃が寝言なのか、意識を取り戻したのか、「おねぇちゃん... ごめんよ... 勝手な事して... 」と言った。
柳は気がつかない振りで、タバコの煙をくゆらせている。するとベットから罵声が飛ぶ。「馬鹿野郎 ! ナルシストなズッコケ館ひろしィーっ ! 縄をほどけぇ〜 ! あたしを誰だと思ってるんだぁーっ ! 殺せぇーっ ! 」黙って聞いていれば何と言う暴言か。柳は耐え切れなくなり、雪乃を振り返った。「うるさい ! 静かにしろ ! まったくジャジャ馬だなお前って奴は... 」 柳はあきれ返る。「オッサン ! のどが渇いた ! ドトールのカプチーノラテ飲ませろーっ ! 」さすがに柳は言いたい放題の雪乃に対してキレた。イスから立ち上がってベットの雪乃の所へ行き、雪乃の頬に平手打ちを食らわた。そして水滴の止まらない水道の蛇口をひねり、コップに水を汲み、出しっ放しにしていた携帯用医療用具の箱の中から錠剤をいくつか持ち出し、雪乃に口をあけとぶっきらぼうに言った。雪乃はその錠剤と柳の顔を交互に見つめて静かになり少しビビリながら言う。「毒殺... するつもりなのか ? 」雪乃の心臓の鼓動が早くなる。柳は「そんな面倒な事しなくても、殺すつもりなら簡単にやれるだろ、ツベコベ言わずに口をあけろ。」と言う。
恐る恐るゆっくりと雪乃が口を開けると、柳は雪乃の口の中に錠剤を放り込み、続けてコップを雪乃の口に持って行った。雪乃は口の中でそれを転がしていたが、覚悟を決めてゴクリ ! と飲み込んだ。すると柳は急に目を細めて雪乃を見ながら笑い出した。雪乃はそんな柳の事を不思議そうに真顔で見つめてる。柳は笑い終わると、真顔になっている雪乃を見ながら言った。「鎮痛剤だよ、何も心配しなくていい。痛むだろ ? 足... 」そう言われて雪乃は自分の右足を見ると、撃たれた右足は不器用に包帯が巻かれていた。そしてその瞬間からたまらなく足が痛み出した。「痛ててて... うぅ... 」柳は続けた。「そ〜れみろ。やっと静かになったな、弾はモモをかすめただけだ。ちょっと思ったより肉がそげてたが、死ぬような事は無い。」雪乃はそんな柳に言う。「ちょっとぉ ! あたしの美脚が台無しになったじゃない ! ど〜してくれるのよ。責任とってよ。」柳は思いっきり笑った。「なにがおかしいのよ ? 」笑いながら柳が答える。「あのなぁ、お前ホントなら殺されてたかも知れないんだぜ、生きているだけマシだろう ? それともあそこで殺されたかったのか ? お前みたいな事やってたらいくつ命があっても足りないぜ。」そう言われて雪乃は姉の理緒に黙ってこの仕事に着手した事を後悔した。
「さっきおねぇちゃんってうわ言に言ってたが、ルビー・トリガーのもう一人の片割れの事か ? きっとお前の事を助けに来るんだろうなぁ。だが、それは命取りになるぞ。」そう柳に言われて雪乃は反発した。「おねぇちゃんはね、あたしと違って頭もいいし、強いんだから ! あんたなんてコテンパンにやっつけちゃうよ ! 」柳は悲しい目をして雪乃の事を見た。「お前、名前はなんて言うんだ ? 」そう言われて「雪乃」とだけ答えた。「ルビー・トリガーは確かに強い。だがそれはルビー・トリガーが二人でペアを組んでいるからこその話だ。それぞれの能力はすごいと思うが、そんな二人がお互いの弱点を補い合っているから、これまでは活躍出来た。しかしな、別々に行動したとすれば普通の女と何にも変わらねぇ。死んだも同じだ。」雪乃は柳の言葉を聞いてムッ ! とした。
「随分な事言ってくれるわね ! 今夜の麻薬の取引、ルビー・トリガーがぶっ潰してやるわ ! オッサンこそ撃ち殺されないように、とっとと逃げ出したら ? 」柳は苦笑した。「オッサンって言うのはやめろ、オレにも一応名前がある。柳と呼んでくれ。今夜の取引だが、あれはルビー・トリガーを永遠に葬るためのワナさ。お前さえオレに捕まらなければ、予定通り取引は行われ、ルビー・トリガーの手によって、オレたちの組織は相当な打撃をこうむる事になっただろう。ところがだ、ルビー・トリガーの一人が飛んだヘマをやらかし、取引は中止になった。だがそれを良い事にオレ達のボスは、取引の中止は隠してルビー・トリガーの片割れ、つまりお前の大好きなおねぇちゃんを、おびき出して今後のために一気に抹殺しようとたくらんでる。このたくらみが上手く行けば、今夜でルビー・トリガーも一巻の終わりさ。」
雪乃は柳の話を聞いて慌てた。このままだとおねぇちゃんが殺される ! 一大事だ ! 自分が縛られている事も忘れ、一刻も早くこの事をおねぇちゃんに知らせなくちゃ ! と雪乃はベッドの上で暴れた。柳はそれを見て笑った。「雪乃、お前がそこで今さらジタバタしたところで、どうなるもんでもないだろう。その足じゃここを抜け出す事すら出来ない。これもまた人の持って生まれた運命ってもんさ。」雪乃はベッドに縛られたまま泣きながら言う。「いや ! いや ! このままだとおねぇちゃん殺されるぅ、あたしのせいでおねぇちゃんが殺されるぅ... なんとかしなくちゃぁ... 」柳はテーブルの上のタバコの箱からまた一本引き抜き火をつけると、肺の奥まで深く煙を吸い、ふぅ〜ぅと宙に吐き出した。
[10] デジタルビデオ
理緒が買い物から帰って来た。「あら ? 玄関の鍵が開いてない。雪乃はまだどこかをほっつき歩いているのかしら。も〜しょうがない子ねぇ。」そう言いながら理緒はドアの鍵を開けた。部屋の中は朝、理緒が外出した時のままだった。理緒は取り合えず買ってきた洋服やらヒールやらを部屋に片付けて、事務所代わりの居間のパソコンのスイッチを入れる。これは単なる習慣からのものだ。メールの自動受信が始まりチェックして見るが、特になんのメールも来ていない。雪乃が今朝出しっ放しにして行ったビデオカメラのスイッチを入れ、再生してみる。「おはようございます。今日の天気は晴れ、体調良好、化粧のノリも良好。理緒姉ちゃんはもうお風呂に入ってます。そろそろ自慢のお肌も、水をはじかなくなっているのでは無いでしょうか。アハハハ ! これより実地検証に向かいたいと思います。」
今朝の雪乃のおどけた様子が録画されていた。「雪乃ったら、こんなもん録画してどうするつもりなのかしら。こればっかりは私にも解読不能だわ。」笑いながらなんとなくそのビデオを見ていると、雪乃に撮られた自分の裸が映っていた。「なによぉ〜これ ? 」理緒は苦笑した。すると仕事からリタイヤすると言った時の雪乃とのやり取りがあり、雪乃が買い物に行って来ると言い、部屋を出て行く様子も映っている。ところがその先、一人残った理緒が髪にドライヤーをあてるため、洗面所へ行ったあと、雪乃は表から部屋の中の様子をうかがい、そぉ〜っと部屋に入って来て、パソコンの前に座り、何かを読んでいるところが記録されていた。理緒の目はビデオの画面に釘付けになった。ビデオのモニター画面の中で雪乃はメールを読んでいるらしく、メモ紙に何か書きとめていた。そしてそのメモ紙をポケットに突っ込むと、机の引き出しから拳銃を持ち出している。それを見て理緒に不可解な胸騒ぎがした。「あの子ったらもしかして一人で... 」そう言えば理緒がリタイヤの話を切り出す前、「取引現場の下見にでも行って来ようか」と言っていた事を思い出した。ビデオは雪乃が再び部屋を出て行ってから、しばらくして髪を乾かし終わった理緒がパソコンの前にやって来て、仕事のメールをすべて削除している所が映っている。その後は理緒が出かける所があり、それからずっと誰もいない部屋が延々と映っているだけだった。
理緒はあわてて雪乃の携帯電話に電話を掛ける。呼び出し音は延々と鳴るが、一向に雪乃が電話に出る気配が無い。もう一度掛け直してみるが、結果は同じだった。雪乃に何かあったのかもしれないと理緒は感じた。今朝削除したメールが残っていないかどうか、パソコンのゴミ箱をクリックし、すべてを元の場所に戻すを選択し、メールの復元を試みる。幸いな事に削除したメールは復元された。理緒はメールを読みながら今夜の取引の現場を頭の中に叩き込んだ。多分、雪乃はここに来るはずだと思ったからだ。何が雪乃の身に起こったのかは分らないが、そこに行けば雪乃がいるに違いない。理緒はすぐに仕事のしたくに取り掛かった。しかし今夜のルビー・トリガーの仕事は、雪乃を見つけ出して無事に連れ戻す事だ。
[11] 柳と雪乃
雪乃は観念したのか、相変わらず柳のベッドにしばりつけられ、今夜のルビー・トリガー抹殺計画のために、拳銃の手入れをしている柳の後姿を見ていた。柳の広くて大きな背中をベッドから見ていると、まるで優しかった父の背中を見ているようで、雪乃は切なくなった。もっともっとパパには甘えたかったのに、もうパパはいない。「柳さん、今夜おねぇちゃんの事、殺しに行くの ? 」柳は「んっ ? 」と雪乃の事を振り向いた。「あぁ、仕方が無いな、オレの仕事だ。オレも組織の人間だからな、組織を裏切るわけには行かない。雪乃のおねぇちゃんには、なんの恨みもないがそう言う運命だ。」雪乃はまだ柳に話しかける。「なんで私をあの時殺さなかった ? その場で始末出来たし、それにいづれ始末する事になる私の手当てまで... 」柳は拳銃の手入れをするのをやめて、背中を向けたまま考え込んでから答えた。
「かねてからルビー・トリガーの噂話は聞いていた。美人姉妹の二人組みで、彼女達の仕事はいつも完璧だとな。これまでたくさんの組織の仲間が、ルビー・トリガーの弾丸の餌食になり、闇に葬られてきた。立場はオレとはまったく正反対の彼女達だが、殺しの専門家と言うカテゴリーでは同業種だ。だから自分のこの眼でルビー・トリガーの仕事振りを見てみたかったんだな。だから今回の仕事に自分から志願して参加したんだが、そんな時に雪乃が現われた訳だ。雪乃がルビー・トリガーの片割れだと分ってオレはある意味笑った。常々ルビー・トリガーは完璧だと仲間達は恐れていたんだが、実際に捕まえてみれば... 雪乃だろ、確かにお前のとっさの運動能力と瞬発力には、目を見張るものがあったが、雪乃は感情に流され易い。物事に胆略的だ。こう言う奴は一人では仕事は出来ない。いくら命があっても足りない事になる。ルビー・トリガーがこれまで完璧な仕事をしてこられたのは、おそらく雪乃のおねぇちゃん、名前はなんて言うんだ ? 理緒 ? その理緒ねぇちゃんの聡明さと理論と技術的な裏づけがあるからだ。ちがうか ? 」
雪乃は柳からズバリ ! 言われてやっぱり他人から見てもそう見えるのかとへこんでいた。チラリと柳は雪乃に目をやる。「ハハハァ。雪乃、そんなにしょげる事はないさ。もし今日出会ったのが雪乃ではなく、お前のねぇさんだったとしたら、間違いなくオレはお前のねぇさんを殺っただろう。そうしなければ多分、オレの方がきっと殺られていたに違いない。」雪乃は柳の話に納得出来ない。「それってあたしをなぐさめているつもりかしら ? 」柳はまた笑った。「雪乃はそう言う性格だから命拾いをしたのさ。お前と一緒に暮らせたら一生あきないで暮らせるかも知れんな。」雪乃は柳から手玉に取られているような気がしたが、お前と一緒に暮らせたらと言う、柳の言葉に甘酸っぱい何かを感じた。訳の分らない不思議な感覚だと思った。
柳は腕時計をチラリと見た。スーツを新しい別なものに着替え、拳銃のホルダーを着け、銃の安全装置を確認すると、雪乃の枕の下に雪乃の拳銃、コルト・ガヴァメントを忍ばせた。そして雪乃に言う。ここの隠れ家は、組織の人間も誰も知るものはいない。ここにいる限り雪乃は安全と言っていい。だが、万が一と言う事もある。その時の備えとして雪乃の拳銃を枕の下に入れた。弾も全弾挿入してある。もしも何かあったらそれを使え。雪乃のねぇさんもそろそろ現場の闇にまぎれて、どこかにひそんでいるはずだ。オレ達の組織の人間も、4、50人はルビー・トリガーを殺るつもりで待機している事だろう。わかるか、今夜ルビー・トリガーは最後の日を迎えるんだ。いくらルビー・トリガーが完璧だと言っても、たった一人で50人もの人間を相手にまともに戦えるはずはない。もし雪乃ならどうする ? どう戦う ?
雪乃は自分がしぼんで、身も心も萎縮して行くのがわかる。あたしが身勝手に単独行動を起したために、今おねぇちゃんがなぶり殺しになるかも知れない、大変な事をしてしまったと心底後悔している。泣きじゃくりながら雪乃は「おねぇちゃ〜ん... ごめんよ... みんな雪乃が悪いんだ。ワナなんだよぉ、今夜は取引なんて無いんだ、そんなところに行かなくていいんだよぉーっ ! 」取り乱した雪乃を見て柳は奥歯を噛み締める。「雪乃、いまさら泣いても、もうどうにもならないさ。理緒ねぇさんならこんな無謀な戦いを、おそらくはやらない。自分の目的を絞り込み、無駄な相手と戦う事はしない。雪乃の救出に全神経を集中させるだろう。オレならそうする。しかしそれをするのにも、パートナーが必要だ。」
「パートナーって言っても... わかった、ロープをほどいて... おねぇちゃんを助けに行く ! 」柳がチッ ! と舌打ちをする。「おまえはまだわからないのか ! いいか、良く聞け。雪乃はここでじっと待機するんだ。ここにいれば、理緒ねぇさんが必ず雪乃を迎えにここに来る。それまで何があってもここから動くな ! 雪乃がここから動くとねぇさんがお前の事を見つけられなくなるぞ。今雪乃がなすべき事はたった一つ、ここでじっとねぇさんが迎えに来るのをひたすら待つんだ。 それともう一つ。今夜限りでこの仕事からいさぎよく足を洗うんだ。その事をオレと約束しろ。つらい仕事だが雪乃に出来るか ?」そう言われて雪乃は泣き腫らした顔で、黙ってコックリとうなづいた。
柳は「よし ! 」と言うと、部屋から出て行こうとする。雪乃はベッドにしばられたまま、柳の背中に向かって柳さんはどうするの ? と聞いた。すると柳は「オレは組織の人間、殺しの標的(ターゲット)はルビー・トリガーだ。そして今夜をルビー・トリガーの命日にするのが仕事さ。」雪乃は「そ、そんな事は止めて ! 」と悲痛な声を上げる。柳は雪乃の事を優しい目で見据え、「ねぇさんがここに迎えに来ると言ったはずだぞ。」雪乃にはもう何がなんだか訳がわからないが、無事におねぇちゃんに帰って来て欲しい、それと柳さんにも。もう人が死ぬのはごめんだ。自分の愛する人が銃弾によって自分から去って行くのはあまりにもむごい事だ ...
柳は部屋のドアを閉めようとして、ふと思いとどまり、もう一度雪乃を振り返り言う。「雪乃、オレの事好きか。」突然そう言われて雪乃はドギマギとした。そして「愛してる」と言おうとしたのに口から出た言葉は「... 嫌いじゃない。」だった。柳は雪乃の言葉を聞くと「そうか、それで充分だ ! 」と言い残し、ドアを閉めて出て行った。一人残された雪乃は、どうしてなんだろうと自己嫌悪に陥った。そして自分の気持ちに素直になると言う事が、こんなにも難しい事なんだと初めて知った。
[12] 雪乃救出作戦
理緒は暗闇に乗じてコンテナを運ぶ高いクレーンの運転席に潜んでいた。ここからならこの辺りの様子が手に取るように分る。取引の現場も超小型のナイトスコープグラスで鮮明に観察する事も出来る。理緒はすでにそれを使って周辺の観察をしていた。そしてある事に気がついた。それは、いくら大きな取引があるとは言っても、周辺に配置された組織のメンバーが、あまりにも多い事だった。少なく見積もったとしても、30人、いや、5、60人はいるかも知れない。「どいつもこいつも隠れているつもりだろうけど、みんな丸見えよぉ。それにしてもどうなのこの人数 ! 正気の沙汰ではないわね。いくらルビー・トリガーって言ってもこれじゃぁ手が出せないじゃない。一体雪乃はどこに隠れてるんだろ ? 」理緒はさらにナイトスコープグラスで観察を続ける。
一台の車がヘッドライトを消灯したまま、コンテナを振り分ける作業をするための広場に走り込み、停車した。明らかに不自然だ。取引をするための、現金かヘロインを積み込んだ車だろう。まだ一台しか来ていないので、どうやらその場所で取引相手が来るのを待つようだ。現場周辺に待機している組織の人間にも動きは見られない。そして雪乃の影も見当たらない。すると理緒はホルダーから銃ではなく、携帯電話を取り出した。一体どこへ電話をかけると言うのか。理緒は携帯でダイヤルする。「はい、こちら港署です。」理緒の携帯からそう聞こえた。すると理緒は「もしもし、こちらは善良なる一市民ですが、大至急内緒でお伝えしたい事があります。第5埠頭付近に怪しい集団が、大勢拳銃を持って集まっているんです。4、50人はいそうです。もしかしたら麻薬の取引が行われるのかも知れません。すぐに警察の出動を要請します ! でもサイレンや赤色灯をつけて来ると、みんな逃げちゃうかもしれませんから、くれぐれも隠密行動で来て下さいね。では待ってまぁ〜す♪」警察の方が驚いた様子で「通報、ご協力感謝します。危険ですからあなたは直ちにその場から避難して下さい。」うふふ♪と理緒は笑い、警察が来るまで高みの見物を決め込んでいるようである。
理緒の作戦は、警察と組織の者達が衝突して混乱をしている最中に、ドサクサにまぎれて雪乃を探し出し、家に連れて帰る、警察の方も上手く働いてくれれば、取引されるヘロインや現金も押収出来るだろうと言う物だった。いくらなんでも理緒一人でこの大人数の相手は出来ないし、何よりも今回の目的は雪乃を無事に救出する事のみなのだから。問題は雪乃がどこにいるかと言う事だけだ。しばらくすると、やはり無灯火の車が広場に滑り込んで来た。理緒は腕時計を見て時間を計っている。「もうそろそろね。」そう言うとナイトスコープグラスをのぞき、警察の車がゾロゾロとやって来るのを確認すると、クレーンの始動スイッチをオンにした。広場を照明で照らし、グワ〜ン ! と言う音を立てて理緒はクレーンのワイヤー巻上げレバーを手前に引き寄せ、コンテナの一つを吊り上げる。地上では突然照明で照らし出された組織の人間達が、計算通りに騒いでいる。理緒は吊り上げたコンテナを、そのままクレーン本体を回転させ、広場の上に持って行くと、電磁石のスイッチをオフ ! 通電しなくなった電磁石はコンテナを地上へと落下させた。コンテナは取引に来た二台の車上に落ち、車を押しつぶした。「命中〜♪ われながらコントロール良かったナ♪ これで確実に組織の人間の何人かは車での逃走が出来なくなるワ。」理緒はすぐさまクレーンの運転席に細いワイヤーを引っ掛け、レンジャー部隊のように一気に地上へとワイヤーを滑り降り、行方をくらませる。いつまでもクレーンにいると、駆けつけて来たチンピラにナンパされ、退路を失うからである。
地上に降りて耳を澄ましていると、理緒の通報により駆けつけて来た警察と、組織の人間がやぁやぁ言いながら捕り物を繰り広げているのが分る。「ふふふ♪ みなさん元気がよろしくて結構な事だわ。おっと ! こんな所で遊んでいるヒマは無かった。早く雪乃を見つけ出さなくちゃ ! 」理緒はガンホルダーから拳銃を引き抜き、安全装置を解除した。スリムな黒のエナメルのコスチュームが、ツヤを出し、理緒のボディーを浮かび上がらせる。こんな時でも理緒はファッションに気を使う。何故ならそれはルビー・トリガーだからだ。何事も美しく完璧でなければ、ルビー・トリガーとは言えない。理緒の信念なのだ。
[13] 理緒の危機
理緒は警察や組織の人間がごった返している騒ぎに乗じて、コンテナ溜まりを身を隠しながら雪乃の発見に全力を尽くしていた。まさにここは戦場と化している。「あ〜ここにもいない... 」そうつぶやきながら走り回り、コンテナに隠れていると、パニックになった組織の手下に見つかった。「女だっ ! ルビー・トリガーがいるぞ ! 」 その一言でその辺りに散らばっていた組織の人間が集まって来てしまった。「ぎゃぁ! 見つかっちゃった ! 」理緒は自分に向けて銃弾を浴びせかけられながらコンテナを回り込み、しゃがんで周囲の状況把握に努める。「あそこに二人、こっちに五人、向うに三人・・・」もう少し良く見ようと立ち上がったところに、一斉に銃弾が撃ち込まれて来る。理緒のまわりのコンテナはもう銃弾によって穴だらけのハチの巣状態。「やばいなぁ〜、これじゃぁ雪乃を見つけ出すどころじゃないよぅ... 」どうしようかと考えている時に、いきなり一発の銃弾が理緒の髪をかすめ、自慢の髪を台無しにした。「きゃぁ ! よくもやってくれたわね ! ただじゃ済ませないからぁーっ ! 」平素、冷静な理緒だが、これにはキレた。
理緒はコンテナの影から飛び出し、位置確認済みの敵に銃弾を発射する。フルロードで全弾撃ちつくし、7人射殺。コルト・ガヴァメント45口径、理緒の拳銃も雪乃のものと同じ。マガジン
(弾装)には7発の弾丸がセット出来るものだ。つまり7発撃ってすべて命中、一人残らず即死と言う事になる。これがルビー・トリガーの怖さであり、ルビー・トリガーに銃口を向けられた者は、必ず死ぬ事になる。理緒は地面を転がりながら、別のコンテナの影に隠れる。カラになったマガジンを捨て、素早く新しい弾丸がセットされたマガジンと入れ替える。そしてコンテナの角からそっと顔をのぞかせ、辺りの状況を観察する。雪乃の場合は直感的な野生の感性で敵の存在を感じ取り、敵を倒す。それだけに無駄な弾を撃つ事も多いが、理緒は観察・分析・行動と言うパターンなので、無駄な弾をまったく消費する事は無く、確実に敵をしとめる。しかし、いつもこのパターンが通じる時ばかりではない。不意の敵の襲撃にあい、ピンチに陥る事もしばしばあるが、そんな時、必ず現われて理緒を救い出すのが雪乃なのである。ところが今日はその雪乃がいない。
理緒の背後に敵が迫っている。7、8人の敵が至近距離で理緒を取り囲んでいる。しかし理緒はそれにまったく気がついていない。「ルビー・トリガーだっ ! 」と言う声を理緒は突然背後に聞き、振り向くと男が理緒に殴りかかっている。理緒は身をひるがえし、ケリを入れるがまた一人襲い掛かって来る。相手のコブシを右手でかわし、拳銃のグリップでおもいっきり殴る。相手が倒れるとまた次の男が襲いかかって来る。理緒は一瞬しゃがみ込み、相手の攻撃をかわし、飛び上がってケリを入れる。するとまた背後から狙われる、理緒は相手の腕を取って一本背負い。すると今度は理緒の足元に銃弾が打ち込まれる。一瞬驚くが、前方に一回転して振り向きざまに拳銃を発射し、敵を射殺 ! 理緒はもう汗びっしょり。止め処も無く敵が攻めてくる。「いや〜ん、これじゃ化粧直すヒマも無いよぅ... 」いくら私でも一人じゃどうにもならないと、理緒もあせる。まだ執拗に殴りかかって来る敵の男たちを、ケリ ! まくるが、さすがのルビー・トリガー理緒も疲れて来た。集中力も失せてくる。その時、不意をついて理緒に敵のケリ ! がヒットし、「あうっ! 」理緒はお腹を押えてうずくまる。そうなるとあっちからもこっちからも、理緒の事を捕らえに敵がなだれ込んで来て、理緒はボコボコにやられ、両腕をつかまれてあっという間に捕まえられてしまった。
絶体絶命 ! ルビー・トリガー ! するとその時、一発の銃声がとどろき、理緒の右腕をつかんでいた敵が銃弾の餌食となり倒れた。その場の誰もが一瞬固まり、銃声のした方向に気を取られる。「ルビー・トリガー参上 ! 」男の声で何者かがそう叫んだ ! 理緒はそれを見て左腕をぐいっ ! っと力強く引く。すると理緒の左手を押えていた男がバランスを崩して、理緒の目の前に一歩出た。そこを理緒は相手の顔面に一撃 ! もんどりうって倒れこむ男。スキを突いて理緒は走り出す。追いかけてくる敵の眼を巻き、ともかくとあるコンテナの裏に隠れ、その場にヘタリ込んだ理緒はゼイゼイと肩で息をしている。「うぅ... 疲れたぁ... 死ぬかと思ったよぅ。雪乃がいてくれたら別になんてことない連中なのにィ... 危うかった。でもあの時、拳銃を撃ったのは誰かしら ? 確か、ルビー・トリガー参上 ! って男の声がしたけど。いつからルビー・トリガーに男のメンバー入ったのかしら ? それにしても参上なんて時代劇でもあるまいし、だっさ〜い ! あはは。でも助かったよ、誰だか分からないけど恩に着るわ。」
[14] 柳と理緒

雪乃は見つからず、それどころかいまだかつて無いピンチにさらされ
たルビー・トリガーの理緒。ルビー・トリガーを見失い、血相かいて
探し回っている敵の声や足音が、休憩している理緒のそばをバタバタ
と騒がしい。理緒はここもそのうち見つかってしまうだろう。雪乃を
見つけ出すうんぬんよりも、自分自身がこのままではいつか殺される
だろう。どうにかしなくちゃ ! と考えている時、どこからか男の声で
「ルビー・トリガー... いや、理緒... さんだね。」と聞こえた。
「どなたぁ ? どこにいるのォ ? 出てらっしゃ〜い。」と理緒はまっ
たく緊張感の無い声で言う。するとザクッ ! ザクッ ! と言う足音を
立てて、コンテナの影から一人の男が姿を現した。理緒は銃口をその
男に向けて両手で構える。男はおかまい無しに無遠慮に理緒に近づく
「ストップ ! そこで止まりなさい。そこから一歩でも進んだら貴方
命の保障は出来ませんことよ。」と理緒は男に狙いをつけた。
「なるほどねぇ〜。噂通りの美人だな。あんたの仕事振りはしっかりとこの眼で見せてもらった。やはりルビー・トリガーは車の両輪のようなものだ。二人の卓越した能力がバランスよく機能しているからこそ、世間が恐れるルビー・トリガーとしてこの世界に君臨出来る。しかし、バラバラになっちまうと、その力も半減する。ルビー・トリガーを抹殺するには二人の間を引き裂き別々になった所をそれぞれ始末すれば、何も恐れる事など無い。」
「ふふふ... おじさん、引き金引いて欲しいのかしら。この体制なら私の方が有利ね。おじさんがどんなアクションを取ったとしても、私が引き金を引く方が早い... 最悪な場合を想定しても相打ちかな。あのね、拳銃で撃たれると、血が出るの。痛いよぉ〜、それに死んじゃうかも知れないし。どうしようか、引き金引いて見る ? 」
「アハハハッ♪ やっぱり雪乃と姉妹なんだな。口の減らない生意気な所が良く似てらぁ。」そう言うと男は拳銃を素早く抜き、理緒のコンテナの上に発砲し、怪我するぞ ! と理緒の拳銃を手で振り払い、理緒の体を突き飛ばした。すると理緒の頭上から男に撃たれた敵が一人落ちて来た。そして尻モチをついた理緒に上から狙いをさだめて銃口を向けた。地面にお尻をつけ、後ろに両手をついて足を前に投げ出し、無防備な状態の理緒。しかし理緒はケラケラと笑い声を立てている。「何がおかしい ? 」男はマジマジと理緒の顔を見つめた。理緒が言う。「二人とも見事に相打ちよ。お互いに戦う相手としたら最悪。貴方も私も、もし本気だったとしたら、いつでも殺れたでしょ。貴方の目的は何 ? 不明瞭よ、ハッキリさせましょう。」
「雪乃を預かっている、足に怪我をしている。オレが撃った。だが命に別状は無いから安心しろ。それと、オレの事をオジサンと呼ぶのは止めるんだ。結構心に痛い言い方だからな。柳と呼んでくれればいい。」柳の言葉に理緒はドキリ ! とした。雪乃が捕まっている ? しかも足に怪我 ? 理緒は柳に詳しく話してと言う。柳はそれに応じてこれまでの経緯を話した。柳は話し終えるとポケットからタバコを出し火をつける。理緒はそう言う事かと空白だった今日の時間を埋める事が出来た。柳は吸い終えたタバコの吸殻を地面でもみ消し、ポケットに入れた。吸殻を残しておくと自分がここにいた事が露見するからだ。そしてそのポケットから手を出す時に、クシャクシャになったメモ紙を取り出し、理緒の押し付ける。怪訝な顔でそれを受け取った理緒はその紙を広げて見ると地図が書いてある。「これは ? 」柳に問う。柳は二本目のタバコに火をつけ終わってから言う。「アンタのかわいい妹がベッドにしばりつけられている場所の地図だ。今頃は、おねぇちゃぁ〜ん... と泣きべそかいているだろうよ。雪乃はジャジャ馬娘だが、いい子だな。オレの事は嫌いじゃないと言ってくれた。一つだけアンタに頼みがあるんだが聞いてくれるか ? 」理緒は柳と話していると、まるで自分のパパと話しているような錯覚を覚える。ぶっきらぼうだが、心根はとても温かな人だと思った。そんな柳の頼みとはなんだろうか。
「ここへ来る前に雪乃と約束をした。今夜限りでお前はこの仕事から足を洗うんだとな。そのためにオレは今夜ルビー・トリガーを抹殺し、今夜をルビー・トリガーの命日にすると... さっきも言ったように、ルビー・トリガーは一人ではその能力を発揮する事は出来ない。どちらか一方が消えたらそれで抹殺したのも同じだ。雪乃がオレに足を洗うと約束した事で、ルビー・トリガーは一人消えたんだ。オレの頼みと言うのは、アンタも今夜限りでこの仕事から足を洗って欲しいと言う事だ。今の仕事を続けている限り、雪乃もアンタもまっとうな死に方は出来ないだろう。ルビー・トリガーとしてはもう充分働いたはずだ。もしオレの事を信じてくれるなら、後の事はオレに任せてくれ。」
理緒は柳の話を黙って聞いていた。しばらく考え込んでいたが、理緒の頭の中で柳の思い描いているシナリオが読めたのか、理緒が口を開いた。「抹殺... 命のやり取りをするだけが、抹殺と言う意味ではないと言う事か。柳さん、貴方はそれでどうする ? 貴方も組織の人間ならなんにも無しでボスになんて報告する ? 」柳は何とか口でごまかすと、たいそう偉そうな事を言ってた割には、あいまいな返事をした。それを聞いて理緒は不安がよぎる。もし柳がこのまま組織へ戻り、果たしてボスをあざむく事が出来るのだろうか ? もし柳がヘタをしてルビー・トリガーが生きているとバレら、その時は間違いなく柳が殺される。
「柳さん、ナイフ持ってる ? 」理緒が言う。「あぁ、持ってるがどうする ? 」チョット貸してと言い、理緒は柳のナイフを手に取ると「こうするの ! 」と理緒はご自慢の大切な髪をわしづかみにし、ザックリとナイフで切った。そしてさらに自分の来ているジャケットを脱ぎ、先ほどコンテナの上から柳が撃ち落し、倒れている男の上に脱いだジャケットを広げて乗せ、理緒は拳銃でジャケットの胸の部分に2発、腹の部分に3発弾丸を撃ち込んだ。すると死んだ男の血液と肉片が理緒のジャケットに付着する。理緒はそれをつかみ上げ、切った髪にも死んだ男の血液を塗りつけて柳に渡す。「これを役に立ててちょうだい。後は貴方次第で結論は出る。」
柳は理緒を見据えたまま低く笑う。「やはりルビー・トリガーは抹殺しておくのに限るな。まともに勝負するのは御免こうむる... はははっ ! 」理緒もつられて笑う。そして「お別れね柳さん。今の銃声を聞いてまた奴らがやって来るわ。雪乃も私もお世話になったわ、色々ありがとう。」そう言われた柳は「いや、バラバラにではあったが、ルビー・トリガーと出会えてうれしかったよ。もっとも二人そろったルビー・トリガーと出会っていたなら、完全にオレは殺られていただろうがな。よし、オレがオトリになって奴らを遠ざけるから、そのスキに逃げるんだ。早く雪乃を迎えに行ってやれ。いつまでもしばられたままでは、雪乃が可哀想だからな。」理緒は柳に右手を差し出した。柳は恥ずかしいからよせと拒んだが、理緒は無理やり柳の手をつかみ、固く握手をした。
柳はコンテナの影から飛び出して行こうとしたが、理緒が柳の服の背中つかみ小声で言った。「世話の焼ける人ねぇ、勢いよくここから飛び出して行ったら、私がここにいるのバレちゃうでしょ ! 静かに桟橋の所まで行って、拳銃を2、3発撃つの。そうしたら奴らに聞こえるような大きな声で、ルビー・トリガーだ、ルビー・トリガーがいたぞって叫ぶの。それで、みんなが集まって来たなって思ったら、まず私のジャケットを海面に浮かばせて、上手く広がって浮かんだら、次に私の髪の毛をそのジャケットの上に広がらないように投げて、上手く出来たら海に向かって拳銃を何発か打ち込み、奴らがどこだって近くに来たら興奮しながら、海に飛び込んだぞって言って、海面に向けてみんなに拳銃を撃たせて時間を稼ぎ、程ほどになったらチンピラか誰かに言って、海面に浮かんでいる私のジャケットと髪の毛を回収させて、それを貴方が持ってルビー・トリガーは見事にしとめました、あれだけみんなで鉛球を打ち込んだから、多分死体は浮かんでは来ないでしょう、これがその時のルビー・トリガーの遺品ですってボスに報告する。ボスはそんな汚いものを見たくは無いからそうかと言うだけで、ろくに確認もしないし、他の連中も貴方と一緒に拳銃を撃っていたんだから、ホントに殺ったのかと言う疑問を抱く者がいても、ボスにはその事を言い出す事は出来ないよね。みんな共犯なんだからさ。そうすれば貴方も他の連中も大手がら、ルビー・トリガーを殺った英雄、って言う事になるさ。」
柳は蒼ざめた顔で理緒に言う。「恐ろしいなそこまで考えるとは... だが上手くいかなかったらどうする ? 」信じられないと言う顔で理緒が言う。「もしジャケット上手く広がらなくて沈んじゃった時は、すぐに貴方が海に飛び込んで、ジャケットつかんで高くかかげて、ルビー・トリガーは死んだ、ここは深いから死体はもう上がらないだろう、すぐにボスに報告しろって、みんなをあわてさせるように仕向ければ、あとはさっきと同じ ! 貴方の演技力が必要よ。」イライラするように柳に言う。すると柳はカミングアウト「あのな、実はオレ... 泳げないんだ... 何とか最初の方の作戦で成功させるようにする... 海に飛び込んだら、オレの方が土座衛門になっちまう。」理緒はあきれかえって柳に言う。「成功を祈る。雪乃に何か伝言ある ? 」柳は考え込み、「そうだなぁ、好きだったと伝えておいてくれ。」理緒は確かに承ったと言い、柳は理緒の描いたシナリオ通りに、足音を立てずに桟橋まで行き、理緒はコンテナを背にして、柳の撃った銃声を合図にその場から脱出した。
[15] 姉妹 2
ベッドにしばりつけられたままの雪乃は、いつしか眠っていた。そして夢を見ていた。パイプオルガンと賛美歌が厳粛に流れる中、神父様の落ち着いた声は誰の耳にも心地よく、新郎と新婦は永遠の愛を誓いあう。新郎・雅治は病める時も健やかなる時も、新婦・理緒を愛する事を神に誓いますか。すると雅治はやや緊張しながら「誓います。」と言う。そして新婦・理緒は病める時も健やかなる時も、新郎・雅治を愛する事を神に誓いますか。「・・・」新婦の理緒の返事がない。理緒ねぇちゃん ! おねぇちゃんってば、何してるの ? ほら、誓いの言葉だよ ! 雪乃は一生懸命、理緒に言うのだが、退屈なのと賛美歌が子守唄に聞こえ、理緒は立ち寝してる。雪乃は後ろから理緒をこづいて起こすのだが、理緒は寝ぼけていてここがどこなのかまったくわかっておらず、ウッッホン ! と咳払いした神父さんがもう一度「愛す事を誓いますか。」と言うと、寝ぼけた理緒は突拍子も無い声で、「ふぁ〜い〜♪」と叫んでしまう。雪乃はあちゃぁ〜... やっちまった ! 台無しやぁ〜 せっかくのおねぇちゃんの晴れの日やのに、結婚式がボロボロや、これじゃぁおめでとうなんて言えへん。ホンマにもう... おねぇちゃん、しっかりしてよぅ、おねぇちゃんてば・・・
「雪乃 ! 雪乃ってばぁ ! ほら、起きなさいって。」雪乃は肩を揺すぶられ目を覚ました。目を開けると理緒の顔が飛び込んで来た。「うわっ ! 」っと声を上げて驚く雪乃に、理緒は大笑いした。「どう ? 気分は ? 」理緒がからかい半分で雪乃に言うと雪乃は「おねぇちゃん ! 無事だったの ? よかった〜♪」雪乃は子供のように泣き出した。理緒はそんな雪乃を見てうれしかった。やっと安心出来た。そして雪乃を捕まえたのが柳でよかったと本当に柳に感謝した。もしも柳でなかったら、今頃二人ともこうして生きて会う事は出来なかっただろう。「ほ〜らっ ! いつまでも泣いていないの♪ 」雪乃はそう言われてヒックヒックしながら、ずっと理緒に言いたかった事を言う。「ごめんね... 勝手な事して。みんな雪乃のせいなんだ、雪乃がみんなに迷惑かけたんだ... 柳さんはどうしたの ? 無事 ? 生きてるの ? 元気 ? 」理緒は淡々と縛られてる雪乃のロープをほどきながら、雪乃に言う。「さぁ... どうしたかなぁ。自分が海に飛び込まないで済んでいれば、多分大丈夫だと思うけどさ。」そう言って理緒は笑ったが、雪乃には意味が分らない。
「おねぇちゃん、髪どうしたの ? それに顔にもすごい傷出来てるし、今までおねぇちゃんがそんなにすごい傷負った事なかったのに... ごめんねぇ... 」雪乃に言われてふと思い出した。あの時は生きるか死ぬかの瀬戸際で、深く考えなかったがどんな事になってるのか、理緒は急に気になりだし、雪乃に鏡は、鏡はどこ ? と言い、柳が髭剃り用に使ってる鏡を使い、シゲシゲと自分の顔を見てみた。すると、とんでもない所の髪の毛がバッサリと無くなっていた。理緒は少し思いきり良くやり過ぎたと半べそをかいた。それに顔も傷だらけ。当分の間、化粧水もファンデーションも使えそうに無い。コスメティックな理緒にはかなりのショックである。
ドサッ ! ベッドの方で音がした。反射的に理緒が振り向くと、ロープを解いた雪乃がベッドから床の上に落ちていた。「雪乃、無理しなくていいよ。どう足の具合は ? 」痛ててて... と足を手で押えながら雪乃は「うん、柳さんがちゃんと手当てしてくれたし、痛み止めの薬も飲ませてくれたから、大丈夫だよ。でもちゃんとは歩けないみたいだ。」理緒は雪乃を助け起こし、雪乃の腕を自分の肩に回すと、雪乃は片足でトントンと跳ねるようにして理緒に連れられて、柳の隠れ家から出ようとするが、出口のドアの所で雪乃がちょっと待ってと言うので、立ち止まった。「なに ? 」雪乃はもう一度部屋の中を見回すと、理緒に聞いた。「ねぇ、柳さんまたここに戻って来るかな ? 」理緒も同じ事を考えてた。「どうかなぁ、隠れ家は一つではないだろうし、分らないけど、ここに帰って来るのはつらいいんじゃないかな ? 私がもし柳さんだったら、ここは処分するだろうな。」雪乃はすぐにどうしてと聞き返すが理緒は、雪乃が寝ていたベッドで柳さん眠れると思えないし、彼は殺しのプロだから、同じ場所にいつまでも暮らしたりはしないだろうと答えた。
雪乃は悲しい目をして言う。「そうかぁ、もうここへ来ても、柳さんに会う事はないんだね... いい人だったなぁ。雪乃はあの人の事、好きだった。」理緒もその思いは雪乃と同じだった。理緒は名残惜しげにそこにいつまでもとどまろうとする雪乃に「柳さん... 雪乃に何か伝言はあるかって聞くと、じっと考え込んで、雪乃の事好きだったと伝えてくれって言ってたよ。」それを聞いた雪乃は切ない想いが胸の中いっぱいに広がり、「柳さん... さようなら... ホントは "愛してる" って言いたかったのに、言えなかったよ。逢えなくってもいいから、ずっとずっと生きていてね。ずっとずっと元気にしててね... 」とまた泣いた。理緒は支えている雪乃の体を、ギュッ ! と抱きしめた。
「さぁ、元気出して行こう♪ ルビー・トリガーは柳さんの手で、この世から抹殺されたんだ。約束したでしょ、柳さんとさ。もうこれから私達は、" ルビー・トリガー " じゃない、ただの理緒と雪乃なんだから今日の事は今日で終わりにしよう♪ ねっ♪ 」精一杯の理緒の励ましに雪乃もうなづき、二人は柳の隠れ家を後にした。
[16] 傷痕
雪乃は理緒に何度も「寝たらダメだよ、絶対に寝たらダメだからね ! 」としつこく繰り返し言っている。理緒は雪乃があんまりしつこく言うのものだから、半分本気で怒っていた。「あのねぇ ! 冬山で遭難した人じゃないんだから ! 寝るな、寝るな ! って言わなくっても、寝たりしないってば ! なんなの一体 !」雪乃は首をすくめて苦笑いした。「いやぁ、夢見が悪いって言うかさぁ、まさかとは思うんだけどね、もしかしたら正夢にならなけりゃいいんだけど... 」
パイプオルガンと賛美歌が厳粛に流れる中、神父様の落ち着いた声は誰の耳にも心地よく、新郎と新婦は永遠の愛を誓いあう。「新郎・雅治は病める時も健やかなる時も、新婦・理緒を愛する事を神に誓いますか。」すると雅治はやや緊張しながら「誓います。」と言う。
雪乃はまるで自分の事のように、いや、自分の事以上に理緒の事を心配していた。理緒の様子をじっと観察しながら、もしかして理緒が立ったまま居眠りを始めるんじゃないかと、気が気ではなかった。やっとの事で普通の女の子として人並みの幸せをつかむ、その一番晴れやかな舞台で、あの日みた夢のようにコックリコックリと舟を漕ぎ出しては、せっかくの結婚式が台無しになる。雪乃はこれまで理緒がどれほど自分のために色々な我慢や危険な目に遭って来たのか、雪乃が一番良く知っている。だからおねぇちゃんには誰よりも幸せになって欲しいと願い、誰の結婚式よりも素敵なものにして欲しいと思っているのだ。何しろ理緒は案外神経質なくせに、人一倍楽天的な性格だから、夢で見たようにホントに自分の結婚式でも居眠りするかも知れない。そろそろ問題のシーンが始まる。雪乃はさりげなく理緒の顔をのぞいて見て驚いた ! あれだけ雪乃が寝たらダメだと言っていたのにもかかわらず、理緒はカックン、カックンとやっぱり居眠りしているではないか !
「そして新婦・理緒は病める時も健やかなる時も、新郎・雅治を愛する事を神に誓いますか。」雪乃はど〜しよう ! と困惑したが、まさか夢の時のように席から歩いて行って、理緒の背中を小突く訳にはいかないし... そう思った時、理緒はパッと目を開けて、「誓います。」と落ち着き、しっっかりとした声で言った。雪乃はジ〜ンと胸に熱いものがこみ上げ、喜びの涙があふれて来た。「おねぇちゃん、ちゃんと言えた... しっかり言えた... ホンマによかった... 」どこかヘンだ、感動するところがちょっと違うような気がするが、周囲の人たちは雪乃が涙を流しているのを見て「あぁ、おねぇさん想いの優しい妹さんですねぇ。」と誰もが口々に雪乃の事を誉めた。
結婚式もいよいよクライマックス。指輪の交換をし、二人は愛のくちづけを交わす。雪乃はしんみりと二人の事を見ながら、ふとあの日の甘酸っぱい言葉を思い出している。「お前と一緒に暮らせたら、一生あきないで暮らせるかも知れんな。」ぶっきらぼうな柳が雪乃に言った精一杯の真心のこもった言葉だ。もしホントにそうなっていたとしたら... 雅治と理緒の二人の幸せそうな姿に、雪乃は自分と柳の影を重ね、とりとめもなく雪乃はそんな事を考える。雪乃の右足の傷痕はずっとこれからも消える事無く、雪乃の心の中にも深く残る傷痕となるだろう...