屋根裏談話室

#56 愛しのカノン!(13)

13. 保釈

伊藤まり子こと、岩崎カノンは検察庁へ書類送検され、公然わいせつ罪で起訴された。しかし裁判が開かれるまで、逃亡の恐れは無いと言う理由で一旦保釈される。その折には必ず身元引受人が必要なのである。岩崎カノンがその身元引受人に指名したのが、自分のファン、追っかけをしているビールの青年であった。警察からの電話でその事を知ったビールの青年は、追っかけ冥利に尽きると快諾した。

「さて、車で迎えに来てくれと言われたけど、オレ免許持ってないんだよな。タクシーで迎えに行くか。うん? ちょっと待てよ? A氏、営業職だったって言ってたから車乗れるんじゃないかな? きっとあの人もカレン姐さんの事心配してるだろうから、一肌脱いでくれるかも知れない。電話番号聞いといて良かったな。」

その頃A氏はと言うと、やっと見つけた第2の人生に光を当てて、今後もストリップの観劇を趣味として楽しんで行こうと思っていた矢先、ガサ入れに遭遇し、落胆して家にこもる毎日を過ごしていた。

「何だかさぁ、せっかくストリップの観劇と言う老後の生きがいを見つけてさ、岩崎カノンって言う超絶技巧の素敵な踊り子さんと出会い、まだまだ自分の人生も捨てたもんじゃないなと喜んでいたのに。警察って所は踊り子の局部にしか興味が無いようで、岩崎カノンみたいな素敵な踊り子のダンスを楽しもうと言う気持ちがまったく無い。

ストリップって、いつからあったもんかオレは知らないけど、もう長い年月、大衆の中にあって数えきれないほど沢山の人々を楽しませ、癒し、勇気づけ、明日への活力をみんなに与えて来た芸能じゃないのかね。きっと警察官の中にだって、非番の日にはストリップ劇場に通っていた人もいるんじゃないかな。

それにしてもガサ入れの時、劇場の従業員が刑事の足元にしがみついて、靴を脱げ! ここは踊り子たちの神聖な舞台だぞ、土足で上がるのはやめろ! って、涙ながらに叫んだあのセリフ。泣けたねぇ。ははは、あの気迫に脅かされて、悪かったすまん、今脱ぐからとにかく足を放せって言ったあの刑事には少し救われた思いもある。」

A氏は毎日一人家でブツブツそんな事をつぶやいている。そこへジリリリリ! と、茶の間の黒電話が鳴った。A氏は突然鳴った電話のベルにギクッ!と一瞬驚いたが、はいはいはい。と言いながら時代遅れのダイアル式黒電話の受話器を取り上げた。

「もしもし、誰? 新聞屋の集金かい?」

会社を定年し、2年も過ぎると集金と霊園のセールス電話くらいしか電話はかかって来なくなるものだ。しかし電話に出てみると、聞き覚えのある声である。そうかその声は、もしやストリップ劇場で会ったビールの青年じゃないかと気が付いた。A氏にとってビールの青年は、会社の定年後、仕事関係抜きで初めて出来た友人と言う位置づけである。

「おぉ、その声はもしやビールの青年クンじゃないかな? あれから元気にしてたかい。」と、久しぶりに楽しそうな声でA氏は言った。

「おじいさん、しばらくでした。あのね、岩崎カノンさんがね、明日保釈になるって。でね、警察からオレの所に電話が来て、カノン姐さんを引き取りに来てって。カノン姐さんが身元引受人に、オレたちを指名したって。」

受話器の向こうでビールの青年は「オレたち」と言った。A氏は怪訝に思う。ビールの青年は長い事、岩崎カノンさんのファン・追っかけをしているから、それなりに信頼を得ているのは分かる。だがしかし、自分は岩崎カノンさんに出会ってまだ数日。顔見知りと言えばその通りだが、身元引受人に指名されるほどの立場にはないだろう。これは何か「たくらみ」がありそうだとA氏は勘ぐった。定年退職したとは言え、元営業本部長の役職についていた男である。

「オレたち? キミじゃなくて?」

「あぁ・・・、あのぅ、警察の人が身柄の引き取りには車で来て欲しいと言ってたんだけど、オレ車の免許持ってないんで、もしかしたらおじいさん車持ってたりしてないかなぁと。」

「なるほど、車が目当てのウソ八百か。私も多くの部下を統括していた営業本部長であるからして、人の心のヒダヒダには敏感な方なんだなぁ。ははは。面倒くさいウソなんかつくなって。要件は率直に、ありていに言うのがお客の心をつかむコツだよ。他人の信頼を得るには決して嘘はつかない、小細工しない、計算しない。覚えておくといいぞ。」

「ありゃりゃ、とんでもない所でお説教されちゃったな。いや、良いお話、肝に銘じて置きます。まぁ、率直に言うとですね、車を持っているようなら力を貸して欲しいと。カノン姐さんを助けてあげて欲しいと。あなたしか頼りに出来る人がいなくて。つまりはそう言う事なんですが。」

A氏は定年退職後、初めて自分が頼られていると言う事に反応した。

「もう一回言ってくれるか? 誰が頼りにされてるって?」

ビールの青年はA氏のアイデンティティをくすぐるように言う。

「おじいさんしか頼れる人がいないんです。どうかカノン姐さんを助けてあげてくれませんか?」

A氏の心の中に何か熱いものが、みなぎって来るのを感じた。こんな感覚は何年振りだろうか。水戸のご老公が、はっはっは! と高笑いをするように笑いたい気持ちを抑えて返事を返すA氏。

「キミ、また小細工したね。そう言うのはダメだと言ったはずだが、分かった。キミを助けるのではなく、岩崎カノンさんを助けるために車を出そうじゃないか。」

「はぁ、ありがとうございます。でもちょっと一言いいですか? ご老人は他人の言う事は、素直に聞く事で愛されるものです。妙な小細工しないで率直にカノン姐さんのためならと言ってくれれば、きっとカノン姐さんもありがとうって喜んでくれると思いますがね。」

「そ、そうだな。こりゃ一本取られたな、はっはっはっ!」

(2021.05.18)

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