屋根裏談話室

#45 愛しのカノン!(2)

2. 三十年ぶりのストリップ小屋

A氏は足取りも軽く、最寄りの駅まで歩いて行き2駅分の切符を買った。
駅のホームを歩いていると、毎日満員電車に揺られて会社へ通勤していた頃の事を思い出す。仕事だったとは言え、よくこんな満員電車に詰め込まれ、何十年間も通勤していたものだと昔を振り返る。しかし今日は違う。ここで電車に乗れば、若くてかわいい踊り子の裸が生で見られると思うと、股間が奮い立つ。

お目当ての電車に乗ると車内に空席は無かった。しょうがないので吊革につかまり立っていると、目の前に座っていた四十代後半といった感じのオバサンが、A氏の事を座席から見上げながらこう言った。

「おじいさん、私はもうすぐ降りるからこの席におかけ下さい。」

A氏はその言葉を聞いて激怒する。

「いや、結構! 私ももうすぐ降りるし、オバさんからジィさん呼ばわりされるほど歳ではない!」

人道的見地に於いて、せっかく席を譲ると言っているのに、その意をくみ取る事無く、頭ごなしに拒絶した言動をする「じい様」に、ムッ! としたおばさんは、静かに心を押しとどめて言う。

「これは、失礼。せいぜい長生きして下さいね。おジィちゃん!」

A氏は「クソッ!」と吐き捨てるように小さくつぶやいた。

それ以降二人の会話は無く、ガタン、ガタン! と言う電車の走行音だけが車内に響く事になった。

A氏を乗せた電車は、やがて目的の駅へと滑り込み停車した。
A氏はここで下車すると、あらかじめインターネットで検索した時に、劇場までの道順を書き込んだ地図を、A4のコピー用紙にプリントアウトしていた。そしてその紙を胸ポケットから取り出して広げる。

「えっと、駅の改札を出て右へと進む。で、有料公衆トイレの前を過ぎたら最初の路地を右へと進み、陸橋の手前のところの左側か。」

駅の改札を出たA氏は、劇場までの道程を探るようにゆっくりと歩いていると、先ほどここへ来るまでの電車内で、「席を譲る、いや結構」と、ちょっとしたトラブルになったあのオバさんが、何故か自分の前をスタコラ歩いている事に気が付いた。

「あのクソババアか! 何でこんなところにいるんだ? 胸くそ悪い!」

A氏は不愉快なオバさんの事は見ないようにして、プリントアウトした地図と、自分の現在位置を確認しながらストリップ劇場を目指して歩いて行く。

ようやく劇場の入り口とおぼしき、階段の前に到着する。
A氏はその「劇場入口」の階段の前に立って、その建物を見上げた時、あの三十年前の会社の慰安旅行の時の事を、まるで昨日の事のように鮮明に思い出した。

そうかぁ、あの時は同僚のBさんやC君、DクンやE君もいたな。あの頃はみんな若くて気の合う、面白い同僚ばかりだった。バカ話をしながら、にぎやかに毎日楽しく過ごしていたなぁ。あれからもう三十年か。オレも定年を迎え、今ではもう会社に行く事も無い。せっかくあの時のようにストリップ小屋まで来たと言うのに、今日はオレ一人だ。

考えてみれば、会社に行っている時はみんな楽しい同僚たちだったが、こうして定年を迎えてしまうと、個人的に付き合いのある同僚ってのは、いないもんだな。やつらがどうしているかと思って電話をして見ても「Aさん元気にしてますか? 会社は順調ですよ、何もご心配なく。じゃぁね。」だと。

じゃねぇとか言ってるんじゃねぇよ! オレが退職して、さぞやみんなが忙しくなって苦労してるんじゃねぇかと思って電話してやってるつーのに「順調ですよ。」だと? 笑わせるんじゃねぇよ! 一言くらい「いやぁ、Aさんがいなくなって、みんな大変なんですよぅ。」となぜ言えない? あんなに仲の良かった同僚、職場の仲間じゃねぇか。愛は無いのか? 元同僚へのいたわりはねぇ~のか!

「金の卵」ともてはやされ、上野駅に降り立って、希望と不安とが入り混じった中での集団就職、昭和の時代。がむしゃらに働いてこの会社に骨をうずめる覚悟で走り抜けて、気が付きゃ世の中は平成の御代となり、オレの髪の毛も抜け落ちて・・・

何言ってんだオレは?
オレは今「人生のささやかな楽しみ」として、このとあるストリップ劇場へ観劇に訪れたんだ。そうさ、このストリップ小屋の入口の階段を登れば、きっと素晴らしい第二の人生が開けるに違いない。そうだ、この階段を登ればあの三十年前のあの日のように、きっと素晴らしい何かが始まる! そんな気がする。

A氏はストリップ劇場の入り口に立たずんだまま、道行く人の好奇の視線にさらされている事さえ気付かない。二十分ほど一人でブツブツ言いながら、ようやく劇場への階段を一歩づつ、しっかりと着実に踏みしめるように登って行く。その後ろ姿は、実直に定年まで会社に勤め上げたA氏の人生を彷彿とさせるような後ろ姿であった。

(2021.02.12)

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