屋根裏談話室

#43 六月の花嫁

「あっ ! 」 少女はふと道端に咲いてる小さな花を見つけた。あどけない微笑みを浮かべてその小さな花に駆け寄り、じっとそれを見つめて「もみじ」の葉のような小さな両手で包むようにして摘み、胸の前で持って見た。

——- 少女は大人たちから、よくこんな事を聞かれた。

「君は大きくなったら何になりたいの ? 」

すると少女はいつもこう答える。

「大きくなったら ? あたし・・・ お嫁さん !」

純白のウェディングドレスを着て、「かわいいお嫁さんになる」とニッコリ笑って言う。
いじらしくも、女としてのささやかな「幸せ」の夢を見続けていた。

そんな少女だったが時は流れ、やがて成人して美しい大人の女性となっていた。そしてこの人となら人生をわかち合えると思える恋人にめぐり逢えた。幼い頃からの夢、「ウエディングドレス」を身にまとい、「誰からも祝福される幸せな結婚」を手に入れる、その日がやって来たのだった。おりしもその日は6月1日。つまりジューン・ブライドと言う事になる。俗説では6月に結婚した花嫁は、終生、幸せな結婚生活が送れるとも言われる。

幼い少女だった頃から思い描き続けてきた夢が、順調に鮮やかな色彩をおび、形となって行く事に彼女は心底満たされている。フワッとした心が軽い。木立の中に建つ古びた教会。どこからともなく聞こえて来る、鳥たちのさえずりが耳に優しく響く。彼女を包み込む何もかもが、穏やかな光あふれる未来を予感させるものだった。

そして彼女は教会の祭壇、神父様の前で純白のウェデイングドレスに身を包み、その手には幼い時、ふと見つけた道端の小さな花を摘んだ時と同じように、本物の美しいブーケを胸の前で持ち、そして彼女の隣には、最愛の夫となる彼が寄り添っている。幼い頃からの夢が今まさに現実になっている瞬間である。

神父様から愛の誓いの言葉、指輪の交換、そして口づけ。誰れもがその二人の結婚を祝福してやまない。その情景は幸せを絵に描いたようだった。

その後は二人の新婚生活となる訳だが、彼女はもう一つの夢をいだいていた。いや、夢と言うよりも理想のような事だ。それは「小さなテーブルに花を飾り、ワイングラスと暖かな手料理を並べ、夫の帰りを待ちながら、ひと時、一人でごす平穏な風景を実現する事」だった。新婚生活ならば、ありきたりな情景。専業主婦ならば誰でも経験する日常の風景なのだが、彼女はそうした平凡な幸せを願っていた。

新婚生活が始まってひと月。思い描いていた通りの暮らしぶりに、彼女は満足していた。夫はとても優しかったし、まじめに働いてくれるので、金銭的な生活の不安も無い。もうこれ以上何を望めばいいのか、と思えるほどの幸せを感じていた。

ところが、新婚生活も二ヶ月が経ち、彼女が幼い頃から夢見ていた「幸せな結婚生活」には、やがてかげりが見えてきた。「小さなテーブルに花を飾り、ワイングラスと暖かな手料理を並べ、夫の帰りを待ちながらひと時、一人過ごす平穏な風景を実現する事は出来なくなっていた。

夫は仕事へ出かけてもすぐに戻ってきた。そして夫は、自分が留守にしていた間は、今日一日何をしていたのかと聞き、その裏付けを取るように、留守電、着信履歴、挙句の果てはゴミ箱をひっくり返して、いちいちその中を確かめた。そうした光景を、ただ黙ったまま冷たく見つめながら彼女は息苦しさを感じていた。

そんな毎日が日々繰り返されているうちに、彼女は精神的に追い込まれて行き、ある日また同じ事を繰り返す夫の背中越しに、ポツリと言った。

「どうしていつもいつもそんな事をするの? 私があなたにウソをついているとでも思っているの? 私の事が信じられない? あなたって、そんな人だったの? お願い! もうやめて! やめてって言ってるでしょ! このままじゃ私はあなたと一緒にいられないわ。これからもそんな事続けるのなら、私はこの家から出て行くわよ?」

積もり積もった感情が、関を切ったように彼女の口を突いて出た。

しゃがみこんでゴミ箱を中を検証していた夫の背中が、ピクリ! と反応した。そして、しばしじっとしていた夫はゆっくりと立ち上がり、振り向いて人差し指で神経質に黒ぶちの眼鏡を押し上げ、氷のような冷たい視線で彼女の事を見下ろすと、言葉を発する事無く、彼女の腕を力まかせにグイッ! とつかんだ。

「きゃぁっ! 」彼女は悲鳴を上げる。夫は強引に彼女の意思と自由を剥奪した。それでも彼女は必死で抵抗を試みるが、男の屈強な「チカラ」の前に屈するしか無かった。もはや彼女の夫は、夫では無かった。チカラで女をねじ伏せる暴力的な第三者の「男」へと変貌していたのだ。一体何が夫を変えてしまったのか。夫には誰にも言えぬ性癖があった。

男は彼女を引きずるようにして、ワインセラーとして使っていた地下室へと連れ込み、その暗い部屋の中に彼女を幽閉したのだった。

ワインセラーだった地下室の暗闇の中、唯一外界との接点は、鉄格子の付けられた小さな高い窓だけだった。そんな所に男は彼女を閉じ込めたのだ。彼女は絶望していた。幼い頃からずっと夢見ていた「結婚生活」なのに、こんな所に閉じ込められ、ひどい仕打ちをされるなんて。

打ちひしがれ、小さな鉄格子の付いている高窓に泣きはらした目をやると、月の光が差し込んでいる。彼女はヨロヨロと立ち上がり、その窓の下に歩み寄ったのだが、下から見上げる事しか出来ない、外の様子も分からない。まあるいお月様だけが見えるだけだった。それでもそのお月様をぼんやりと見ていると、どこから流れて来たのか、黒い雲がやって来て月の光さえもさえぎってしまった。

カビ臭い地下室に置いてあったイスに座ってみると、そこには何も無い。入口のドアと今座っているイスがあるだけだった。目に見えない重い空気が彼女を押しつぶして来るようだった。言い知れぬ不安と恐怖とあせりで、いても立ってもいられなくなり、彼女は入口のドアの前へ行くと、ドアのノブに手を掛け、回して見るが鍵がかかっていてどうにもならない。追い詰められた彼女は、改めて自分の置かれた環境がどのようなものなのか、認識する事になる。

ドアを狂ったように叩く! 叩きながらわめき散らす!

「お願い、助けて! ここから出して! 」

彼女の血のにじむような声だ。ドアの向こう側で人の気配がする。確かに足音がこちらへやって来るようだ。その足音はドアの前で止まった。彼女は夫が気を取り直して、ここから出してくれるのだと思い、ドアの内側から「許し」を乞うた。

「ごめんなさい、私がどうかしていたのね。こんなの何かの間違いだわよね。あなたの言う通りにするわ、あなたは私の大事な旦那様なんだもの。許してくれるよね。」

ドアをロックしてある施錠を解く。「カチャ。」と言う音が地下室に響いた。彼女は助かったと思った。そしてドアがゆっくりと開く。ドアの前には夫の顔をした「あの男」が立っていた。彼女はその男の胸の中に飛び込んで抱きしめた。男は身じろぎ一つせずに立っていた。

「ごめんなさい! もう何にも言わないわ。あなたの好きなようにしたらいいの。だから今まで通り、一緒にいてね。」

そんな彼女の姿を冷ややかに見下ろしていた男は、彼女の長い髪を上から、わしづかみにすると、震えながら悲鳴を上げる彼女を投げ捨てるように突き飛ばした。もんどりうって地下室の冷たい床の上に倒れこむ彼女は額から血をにじませている。

恐怖に顔をこわばらせ、うめき声を立てながら、おずおずと入口に立ちはだかっている男の顔を見上げた。戦慄が彼女の背中を走った。その男は鈍く光る鎖と、手錠を握り締めていた。そして男は一歩、二歩と近づいて来る。彼女は恐ろしさの余り、カビ臭い地下室の隅で両腕で頭を抱えてうずくまる。

男は彼女の襟首をやにわにつかみ、抵抗する彼女の服を剥ぎ取った。彼女が抵抗出来ないように両手に手錠をかけ、無理矢理イスに座らせ、重い鎖で彼女の両手・両足を縛りつける。その鎖を天井のハリに通し、ガラガラとイスの上の彼女の両手・両足を徐々に引き上げて行く。放心状態の彼女は、男のなすがままにされて、もはや「木偶(でく) 」のごとき有様だ。

男は鎖で吊り上げた彼女の姿を見て、異常な目の輝きを放つ。

両手を手錠と鎖で締め上げ、両足を広げさせてそれも吊り上げた。きしむ鎖の音が不気味に地下室に響く。男は声を出す事無く、唇だけを歪めて笑う。そして黒い皮の手袋をすると、いつの間に用意したものか、皮のムチをしならせ、宙吊り状態の彼女を打ち据える。

のどから血が出そうな声で彼女は悲鳴を上げる。「いやぁーっ!」男は笑う。続けざまにムチを振るう。息も絶え絶えに、彼女は暴れて鎖をきしませる。コンクリートの床の上に、彼女の体から温かな鮮血が、雫となってしたたり落ちる。

彼女は痛みと恐怖で悶絶して気を失ってしまう。男は「チッ! 」と舌打ちをし、彼女を吊り上げている鎖をほどくと、ジャリッ! と床の上に投げ捨てる。そして地下室のドアを丁寧に閉じると階段を登り、どこかへ消えた。

彼女は硬く冷たいコンクリートの床の上に、倒れたままいつまでも動かない。そんな彼女の体の上を、グロテスクな虫が這いまわっている。

気を失った彼女は、田舎のあぜ道を歩いていた。すると道の向こうから、小さな女の子がこっちへ歩いて来るのが見えた。彼女はその子のかわいらしい姿に心がゆるむのを感じ、立ち止まってその子を見つめていた。その女の子は遊び遊びしながら中々先へ進まない。

うふふふ・・・ 彼女は微笑み、その女の子の方へ歩いて行った。
女の子は道端でしゃがみこんでいる。彼女は女の子に近づくと、「何してるのかなぁ? 」と、ちょっとからかうように話しかけた。すると女の子は振り向いて言った。

「ここにね、かわいいお花が咲いてるの見つけたから摘んでるのォ。」

彼女は「ふぅ~ん・・・そうなの。ホントかわいいお花だね。」と言いながら続けて言った。

「ねぇ、君は大きくなったら何になりたいのかな? 」

何気なく口を突いて出た言葉に彼女自身、凍りついた!

その女の子は、摘み取って手に持っていた花を、両手で胸の前に抱きしめて答えた。

「大きくなったらぁ? あたし・・・ お嫁さん! 」

「はっ ! 」彼女はそこで目が覚めた。
どれくらいの時が流れているのかまったく分からない。「うぅ・・・」意識が戻ると激痛が体中を駆け巡った。
小さな鉄格子の高窓から、月の光が彼女の体を包み込むように照らしている。

手を動かそうとすると、手錠が「ガシャリ!」と音を立てる。現実は悪夢そのものだった。
月の光が徐々に弱くなり、地下室は再び暗闇に閉ざされた。

「足音が聞こえる! 」彼女の耳に響いてくる。

そしてその足音はドアの前で止まり、ドアの鍵をガチャガチャと開ける音がした。

「あの男が、あの男が来た!」彼女は見も心も縮み上がった。

ドアを開けた男は、ぶるぶると震えあがっている彼女の事を見下ろす。倒れこんでいる彼女の髪をつかみ上げて突き放し、床に転がっていた重い鎖をジャラジャラとたぐり寄せると、彼女の手と足を縛り上げ、天井に吊り上げて行く。彼女は無言だ。泣きも、叫びもしない。ガラガラと音を立てながら鎖がきしむ。

彼女は天井に吊り上げられながら、心の中でポツリとつぶやいた。

「大きくなったら何になるの? あたし・・・お嫁さん!」

真っ赤な鮮血が一筋、彼女の唇を伝って、悲しく流れ落ちた。

(2021.02.09)

この物語は2002年6月1日、新宿ニューアートにて上演された「渡辺理緒」さんのステージ「六月の花嫁」を観劇した時に、その時のイマジネーションを膨らませて私が脚色・創作したお話です。ですので原案は渡辺理緒さんと言う事になります。元々、その時の観劇レポートの中で、劇場で見た光景とこの創作物語を平行して書いてあったので、そのレポートから物語だけを抽出して、加筆修正・再編集した物語である事を記しておきます。